【ELPASO会員コラム35-1】政治から遠ざけられた私達(情報資本主義の時代)

2024.5.24
株式会社ナベル 取締役会長
南部 邦男

我が家で家内が得る情報はその大半が「地上波テレビ、産経新聞、週刊誌」である。国政選挙も中東戦争も中国問題もゴシップも情報源これらの何れかである。
4月28日(2024年)は東京(15区)、島根、長崎で行われる衆議院議員の補欠選挙の投票日であった、三か所とも過去最低の投票率だった。
京都で地上波テレビを見ていると「東京、島根、長崎の三カ所で衆議院議員の補欠選挙が行われます」という遠い世界の話が紹介される程度である。
先人が苦難の歴史の中で創造してきた「国の統治を委託する代議士を選択する」のだという厳粛さと恐怖にも似た空気は全くない。
むしろ政治は別世界のモノであり、誰に投票してもあまり変わりませんよ・・と物知り顔で言う人が世の中を知っているオトナであるような感さえある。「経済人は政治に口を出すべきではありませんよ」、と取材に答える経営者もいる(と言う場面を選択的に放映しているのであるが)。
果たしてそれは経済人として正しい生き方なのだろうか。
「過去最低の投票率」を問題として論評せず、「裏金問題で自民に逆風」や「岸田政権の退陣、解散」に重心を置く報道は私達の政治への距離を一層遠くすることに気づかないのだろうか、いや意図的にそうしているのだろうか。

世界には毎日報道すべき情報が山盛りある。その中から何を選択するか、そしてどう伝えるかで情報を受取る私たちの印象は容易に誘導される。
テレビ報道では強盗殺人、円安、不倫・・・と怒涛の如く言葉と画像を投げかけてくる、それらの与えられた情報に対して絵(インスタ映えする?)になる異形のタレントコメンテーターが軽薄な感想を述べるか、それもできないコメンテーターは一発ギャグでスタジオを盛り上げようとする。
視聴者は思考停止状態となり本能的にスタジオと思考が同期し一緒に笑い、束の間の存在感を充足させる。
ニュースではイスラエル、パレスチナ戦争で病院を爆撃するイスラエルの残虐を放映し、病院の中(地下?)に軍の司令部を置いているパレスチナの非道を非難しない。

国会中継は子供に見せられないチグハグな質問と回答を立派なオトナが繰り返している。
代議士に必要なのは「無為な時間を眠らずに過ごすことのできる強靭な意志」のようである。我が国をどうするか、先人たちから受け継いだ我が国をどう次世代に引き継ごうかなどという苦悩はなさそうである。
国会質問はテレビ映えのする小道具を用意することに腐心する、いかに苦心して作成した小道具であっても画面に入れるか、どのカットで放映するかの選択権は私達に無い。回答する大臣は質問を聞かず原稿を間違わないように読むことに集中する。

情報が世界を誘導する、いかようにでも致します、の如くである。
我々は情報が取捨選択されたものでありその論評は提供側の価値観の下に創造されたものであることを知った上で情報資本主義の時代を過ごさないと取り返しがつかないことになりそうである。

昭和21年4月10日の第22回衆議院議員選挙の投票率は71%である。明治23年7月1日の第1回衆議院議員選挙(有権者は人口の1.1%)のそれは93%である。
我々は随分政治から遠ざかってしまったものである。