2022.11.25
名古屋市立大学附属東部医療センター
名誉院長 津田喬子
「丸和育志会コラム」執筆の機会をいただいたことから、新型コロナウイルス感染症に関連して知らないことや疑問に思ったことを整理して私なりに振り返ってみました。
1.7種類のヒトコロナウイルス
電子顕微鏡で見ることができる新型コロナウイルスは直径約100nm(0.0001mm)の球形の小粒子で表面全体に突起状のもの(スパイクタンパク質)が付いています。その形が王冠に似ていることからギリシャ語で王冠を意味する “corona” という名前が付けられました。正式な名前は国際ウイルス分類委員会(ICTV)が命名した重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2型(SARS-CoV-2)です。
SARS を覚えている方は多いと思います。2002年11月16日に中国南部広東省でこれまでと違った肺炎患者が出たとの報告に端を発し、北半球を中心に流行した重症急性呼吸器症候群のことです。その原因はSARS-CoVと命名されたウイルスでした。今回の新型コロナウイルスはこのSARSのウイルス遺伝子の塩基配列と似ていたことからSARS-CoV-2と命名され、感染症そのものに対してはWHOが新型コロナウイルス感染症(COVID-19)と呼称しました。
もともとコロナウイルスはヒトのみではなくコウモリ、ブタ、ネコ、ウシ、ラクダ、マウス、イルカなどの哺乳類や多くの鳥類などに38種類の動物コロナウイルスが見つかっています。ヒトには7種類のヒトコロナウイルスが見つかっていて1)、2)、そのうち4種類は人類が古くから付き合ってきた風邪の原因とされてきたので専門家以外は詳しいことを知らなくて済んでいました。しかし、近年、重症の肺炎を引き起こす3種類のヒトコロナウイルスがクローズアップされてきました。SARS-CoV、2012年に発見された中東呼吸器症候群(MERS)の原因ウイルス(MERS-CoV)、そしてSARS-CoV-2の3種類です。
2.新型コロナウイルスの構造
電子顕微鏡で見た新型コロナウイルス(以下、新型ウイルスの構造を模式図で説明しましょう(図1)。
新型ウイルスの構造を説明する用語が統一されていないので混乱しますが、簡単に説明しますとウイルス粒子はエンベロープと言われる脂質二重膜で保護されていて、脂質二重膜にはスパイクタンパク質をはじめとする複数のタンパク質が存在しています。粒子の中には遺伝情報を持った RNA(リボ核酸)がヌクレオカプシドタンパク質と複合体を作って存在しています。テレビなどでよく目にする電子顕微鏡の写真で表面に多数の突起状に見えているのはスパイクタンパク質です。
感染のしくみ、検査方法、変異ウイルス、ワクチン、感染対策を理解するにはこの構造を知ることがとても大切です。
3.感染のしくみ
新型ウイルスも含めてウイルスには自己複製能力がないので、ヒトや動物などの生きた細胞(以下、宿主細胞)の中に侵入して、宿主細胞が増殖のために使用する遺伝子材料やタンパク質を横取りして増殖せざるを得ない寄生体なのです。
感染には脂質二重膜にあるスパイクタンパク質が重要な役割を果たします。宿主細胞の細胞表面にある受容体にスパイクタンパク質が結合して吸着されることが感染の第1歩です。新型ウイルスの場合は、私たちの上気道や肺の上皮細胞に結合する受容体があるのでそこに結合します。感染するとまず呼吸器症状が現れるのはそのためと考えられています1)。
約30億年前には地球に存在していたと言われているウイルスですが、生物か無生物かの長年の議論があります。ウイルスは自力で増殖できないので生物ではないと考えたいのですが、今も明快な結論に至っていません。1956年に上梓された「生物と無生物の間」の中で、「ウイルスは細胞の外では単なる物質と言えるが細胞の中では自主性を持った生物として振る舞う存在であり、生物と無生物の間に常識的なはっきりとした線を引くことは難しい」というウイルス観があります3)。
話を戻しましょう。吸着されてからどのようにして感染症を発症させることになるのかを説明します。
吸着された新型ウイルスが宿主細胞の細胞膜に包みこまれるようにして細胞の中へ入り込むと、脂質二重膜と細胞膜の一部が融合して破れ始めます。すると新型ウイルス粒子内の遺伝情報を持った RNA(リボ核酸)とヌクレオカプシドタンパク質との複合体が宿主細胞内に放出されます。そして宿主細胞内で新型ウイルスのRNA(リボ核酸)の遺伝情報を元に複製を繰り返し爆発的に新型ウイルスが産生されて発症に至ります。宿主細胞は複製工場となるのです。
4.検査方法
<遺伝子検査(核酸検査)>
ポリメラーゼ連鎖反応(Polymerase ChainReaction)を用いて新型ウイルスのRNA(リボ核酸)を検出する検査でPCR検査のこと
最も精度が高いが、専門的技術と機器が必要
ウイルスの排泄量が最も多くなる発症後10日前後に検出感度が高くなる
<抗原検査(定性・定量)>
ヌクレオカプシドタンパク質を検出する検査
迅速に結果が判明するが、PCR検査よりも感度が劣る
<抗体検査>
発症早期の診断はできず、過去に感染したことがあるかどうかを判定する検査
感染の正確な時期は判らない
5.変異ウイルス
一般にウイルスは増殖にあたり遺伝子の突然変異が起こりやすいと言われています。新型ウイルスにおいてもスパイクタンパク質を構成するアミノ酸の1つが突然変異を起こすこと(例えば最初アスパラギン酸であったのが同じ部位でグリシンに変異するなど)によって、変異ウイルスが生まれると考えられています。変異によって新型ウイルスは強毒化あるいは弱毒化します。しかし宿主細胞が破滅するほど強毒化しては新型ウイルス自体も増殖できなくなるので、適度に変異しつついずれは弱毒化して宿主細胞との共存を図っていくと考えられます。
6.ワクチン
歴史的には1798年のイギリス人医師エドワード・ジェンナーによる天然痘ワクチンの報告書に始まります。ワクチンの目的は「弱い病気に感染させて免疫記憶を獲得させ、それに似た重い病気の感染を予防する」ことです。天然痘ワクチン以降、ジフテリア、小児麻痺、コレラ、風疹、麻疹、インフルエンザ、B型肝炎、子宮頸がんパピローマウイルス(HPV)、日本脳炎等に対するワクチンによる伝染病予防は目覚しい発展を遂げてきました。
多くのウイルス感染症のワクチンは、当初にはウイルス自体を弱毒・無毒化したものが開発されましたが副作用を無視できませんでした。最近ではより安全なワクチンが考案されてきました。
現在、新型ウイルスの感染予防において実際にヒトに投与されている主なワクチンは、新型ウイルスのスパイクタンパク質をコードする遺伝子を用いるメッセンジャーRNAワクチン(ファイザー社、モデルナ社など)と、ヒトへの病原性が低いウイルスを安全なベクター(遺伝子の運び屋)として利用するウイルスベクターワクチン(アストラゼネカ社、ジョンソン・エンド・ジョンソン社など)の2種類です。
ワクチンの有効性を示す言葉として有効率が使われます。ワクチンの有効率90%というのは「90%の人に有効で、10%の人には効かない」もしくは「接種した人の90%は罹患しないが、10%の人は罹患する」という意味ではありません。接種群と非接種群(対照群)の発症率を比較して、「非接種群の発症率よりも接種群の発症率の方が90%少なかった」という意味です。つまり、接種群の発症リスクが10分の1になるということです。
7.感染予防対策
脂質二重膜は石鹸や洗剤で洗ったりアルコールで消毒したりすれば壊されて新型ウイルスが感染性を失うことになりますが、それだけでは予防策として不十分です。次回の「新型コロナウイルス感染の予防に思うこと」で解説します。
引用文献
1)増田道明:新型コロナウイルスのウイルス学的特徴.モダンメディア66(11):313−320,2020
2)加藤茂孝:コロナウイルス感染症の歴史と COVID-19 からの学び.薬史学雑誌56(1):1-6,2021
3)川喜田愛郎 : 生物と無生物の間 ウイルスの話.岩波新書; 1956.ISBN: 9784004160878.