日本の夏は75年前の沖縄戦慰霊の日(6/23)や原爆記念日(8/6・8/9)、終戦記念日(8/15)等が続く季節である。戦争以外にも、大地震、津波、台風、河川氾濫、火山の爆発等、自然災害は次々と発生する。元々日本は災害列島だからと覚悟していたら、新型コロナウイルスという思わぬパンデミックにも襲われた。
さらには、高齢者の運転ミス死傷事故やいじめによる十代の若者自殺といった事件も一向になくならない。これらの悲惨な事件・事故発生後に繰り返し叫ばれるメッセージが上記タイトルである。
被災者・当事者はもちろん関係者もほとんど全員が、そうだと強く思っていることは疑いない。その一方で、悲惨な事件・事故が繰り返し発生し続けていることも疑いない事実である。評論家ではなく常に実践家たろうとするELPASO会員は、このような状況を前にしてどう考えるべきであろうか。
先月発売されたばかりの感染症医が書いた本には、“病院長たちにいつもお願いすることは、「二度とこのようなことは繰り返しません」という言い方をしてはいけない、ということだ。”とあった。健康人より感染リスクの高い病人で溢れている病院では、感染症がある確率で発生することは避けられず、できるのは様々な対策を取って確率を下げることだけだ、それを二度と発生させないと言明すれば、病院組織全体が事実を事実として認めない隠蔽虚偽体質に覆われる、ということがこの医師の言いたいことである。
ところが、「二度と繰り返さないとは言えないが、発生確率を下げるためこれこれの対策を実施します」と正直に発言すれば、ネットは炎上し、病院は閉鎖に追い込まれるかも知れない。ロジックを嫌い、エモーショナルな発言を好む人はどんな社会にも存在するが、それが簡単に世論になってしまいがちなことが、欧米に比べて日本社会の恐ろしいところである。
社会問題として議論すると難しいが、ビジネスの世界、特に自社の組織内では、エモーショナルな風土が自然に醸成する芽を絶えず摘み、事実に基づいて科学的・論理的に考え、議論し、効果的な具体策を着実に実行する行動規範、風土形成が最重要となる。
被害者は、当事者としての悲惨な経験・事実を、多大の犠牲を払ってもできる限り多くの人に伝え、二度と繰り返さないという思いを社会に広く伝えようとする。その過程で責任者をあぶり出したいという動きが当然出てくるが、そうすれば二度と起こさないための対策を取ってくれるだろうという期待がそこには含まれている。
残念ながら、それに対する期待外れの繰り返しが、悲惨な結果を繰り返し生み出している。起こってしまったことの責任者を明確化しても、対策実施責任者があやふやでは、効果的対策は実現されず、被害者の思いが単なるお願いで終わることは避けられない。
『既に発生してしまったことの結果責任者を明確化し適切な罰を与えて留飲を下げる』という後ろ向き発想から『悲惨な結果発生を極力防止する対策実施責任者を明確化し関係者が協力して期限内対策実施プロセスに皆が注目する』という前向き発想への変革が、アフターコロナ時代に求められる変容のキーである。
Take Responsibility とは、日本語の「責任を取って辞任する/責任を取らせて罰を与える」という暗いニュアンスからは程遠い「責任ある地位に就く」、「責任ある仕事を任せてもらう」という自主的で前向きな言葉である。
その仕事が意図に反して悲惨な結果に終わったとき、当該責任者は辞任を含め、個人としての適切な判断を自主的に下すことであろう。