丸和育志会とは
橋本忠夫理事長からのあいさつを紹介します
丸和育志会の前身である「財団法人丸和育英会」は、篤志家髙𣘺福造氏の基金提供により設立され、1975年(昭和50年)1月から育英事業をスタートさせました。その後、丸和油脂(株)社長髙𣘺祐直理事長のリーダーシップのもと多くの奨学生が卒業し、有為な社会人として活躍されています。
2008年(平成20年)、政府により、明治時代の公益法人関連法規が改正、施行され、全公益法人を対象にした「平成の大改革」が実施されました。その過程で「丸和育英会」も奨学金事業にソーシャルビジネス支援事業の追加認定を受け、名称も「丸和育志会」と改めて現在に至っています。
この二つの事業を合わせますと、2024年(令和6年)末で、給付対象者数と給付総額は下記の通りとなります。
(2024年12月末現在)
奨学生 | 697名 |
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ソーシャルビジネス賞 | 54名 |
給付額 | 5億5,600万円 |
ソーシャルビジネス研究会 | 116回 |
2025年(令和7年)には一つの節目となる50周年を迎えることになります。
「育志会」という名称には、2つの思いを込めています。
一つは「志ある人間を支援する」という「丸和育志会」としての表明。
もう一つは、「各人が、自らの志を変容させる」こと。
すなわち自分自身の成長と社会の変化に適応して、志の内容を充実させてゆく意識を徹底したいというものです。
そこで、丸和育志会とは別個の、自由な個人会員組織をつくり、相互に支え合う関係のなかで社会の変化に対する「感受性」を高めようとしています。
その会員組織である「ELPASO会」における自由な議論、知の交流を通じ、技術進歩や社会課題の認識、先進的なプロジェクトやソーシャルビジネスの発想、構想とその実行等、各人の志自身が時代にふさわしいものに育っていくことを期待しています。
丸和育志会の2つの事業の究極の狙いは、奨学生を中心に若者が知力・人間力を学び、自己の成長を望み行動する社会人に育つこと。
そして、ソーシャルビジネス賞受賞者を中心に起業家が事業を軌道に乗せ、自分にふさわしい豊かな生活の実現を通じて、社会を活性化することにあります。
丸和育志会は、ただ表彰・給付するだけの支援事業ではなく、持続的な支援関係を通じて、未来のソーシャルビジネスの活性化、そして、未来の資本主義のあり方についても考えていきたいと思います。
「志と富のバランス」を理念、「ソーシャルビジネスによる社会課題解決」をビジョンとし、「自分で考え・仲間をつくり・実践する」という行動基準を設けている丸和育志会の支援方針について紹介します。
偏差値は、よく考えられた計算式で広く使われています。学生たち自身が、入学試験における「偏差値を上げる訓練」を長期間行うことで、“正解がある問題の正解を探す癖”が身に付いてしまうのは、ごく自然な流れです。学校の学びとは異なり、社会では正解のない問題が多いことから、近年では高校でも「探求」科目が追加されるようになりました。
ところが、実社会では正解がない問題ばかりとは言い切れません。現実の社会を支える実務の大半は、「ルール/マニュアル/約束を守るための仕事」といっても過言ではありません。それは(ほぼ)正解のある仕事であり、「正解を求める偏差値脳」が得意な仕事といえます。
「失われた30年」とは、社会の仕組みが崩壊したのではありません。社会の仕組みは、「正解を求める偏差値脳」を持つエリート層のリーダーシップのおかげでしっかり維持されてきました。
社会の健全な発展には、「ルール/マニュアル/約束を守るための仕事」に加え、みんなが驚くような新しいプロジェクトの成功によるイノベーションが必要です。
偏差値教育とは、そのイノベーションを担う人材の輩出が困難な仕組みです。そのうえ、我々自身が持つ「イノベータを尊敬しない文化」がイノベーションの推進力を弱め、いつの間にか先進国の中でもっとも遅れた国になってしまったのではないでしょうか。
21世紀は価値観が多様化する時代と言われています。これに反論する人はあまり見受けられません。ただ、具体的な行動面においては難問が山積しています。そこでの議論を建設的に積み重ねるには、論理的思考の整理が必要です。
「演繹的論理」は必ず正しいとはいえ、新しい知を生み出すことはできない思考法であることは、しっかりと教育すべきです。
科学技術の世界で有効な「仮説検証」も、そもそも仮説を設定する能力がなければ、優れた検証能力が宝の持ち腐れとなってしまいます。また現在もパワーを持つ説得法である「レトリック」は、実社会で各人が経験から学ぶだけで、きちんと教えられていません。
社会課題解決に関する議論では、「コンセプトを明確化して議論する文化の弱さ」が挙げられます。
たとえば「地方の活性化」という議論では、大都市と地方(田舎)が対語なのか、東京とそれ以外の地方なのかがよく分かりません。どうやら後者のようですが、それなら「地方の活性化問題」に収斂させず「東京一極化の是正問題」も並行して検討した方が有効な解決策が生まれそうです。
同様に「真実と真理」、「権威と権力」、「責任と権限」といった言葉の意味も曖昧で、誤解したまま議論することが多く、意思決定を間違えることも少なくありません。
物事の本質をしっかりと捉えながら議論するという文化は未成熟のままとなっています。
どんな時代でも、いかなる組織・社会においても指導的であり支配的な役割を担う層は必要です。社会や人々の豊かな幸せのために大きな絵を描き、深く議論を重ね、仲間たちと未来を共創する、そのリーダーシップを発揮する優秀なリーダーは不可欠です。
そのリーダーには、現在の教育制度によって生み出される「正解を求める偏差値脳」とは別個の能力と価値観が求められます。「優秀なリーダー」には、「他人や社会のために働きたい」という意欲が、必須要件としてさらに強く求められることでしょう。
仕組みや方法論がなければ、物事は具体化しません。一方、そこに「哲学」がなければ、幸福などということについて考えることすら意味がなくなります。私たちは「真のリーダー」の育成を永遠の課題としています。
現代は、社会の隅々にまでグローバルなヒト・モノ・金・情報・文化などが浸透しています。それを前提とした現代のリーダー像は、歴史上にイメージする優秀な指導者像とはまったく異なることは当然であり、そのイメージ構築は大きな課題です。
“英雄のいない時代は不幸だが英雄を必要とする時代はもっと不幸だ”、これはドイツの詩人・劇作家ブレヒト(1898-1956)の言葉ですが、彼がこの言葉を記した1930年代においては説得力がありました。しかし彼の言う「英雄」は、もはや現代ではイメージを描くことさえ不可能です。
21世紀とは、ひとことで言えば「超複雑化カオス世界」です。その世界で、存在するはずのないオールマイティな「超人」の到来を我慢強くじっと待ち続けるだけの社会は、当然取り残されてゆくことでしょう。
「超人」が存在し得ない時代に、その役割を可能な限り担うのは、価値観多様化時代の認識のもとで、「他人や社会のために働こうとするリーダーとそのグループ」、さらには「それらのグループのネットワーク」ではないか、と考えます。
「失われた30年」の原因は、我々が持つ「イノベーションへの意欲不足」でした。
“正解がある問題の正解”をすばやく見つけ出す「クレバー(Clever)さ」は、現実の社会の仕組みの強靭化や効率化には寄与しても、リスクとセットのイノベーション(の意欲)には本質的になじみません。
丸和育志会が考える「新しいリーダー」には、人間の能力に対して、もっと自由で正当に扱う思考力が求められます。
ここで大切なことは「正解を求める偏差値脳」への過剰なコンプレックスを、一旦捨て去る必要があるということです。最も重要な課題は、多様な分野における「クレバーさ」へのリスペクトをベースとして、「それぞれの専門家を社会貢献の総合的視野へいざなうこと」だからです。
21世紀のどんな組織・社会にも必要な「指導的役割を行う層」とは、「正解を求める偏差値脳」などの特定の能力に秀でたクレバーな人間グループではありません。
知を集め、あらたな知を生み出すと同時に、自分へのこだわりを捨て、状況に応じた行動ができる人間です。具体的な社会課題に対峙し、あらたな発想や構想の創造・実行により総合的解決に生涯努める人間とそのグループです。「ワイズ(Wise)リーダー」とは、そのことの本質を心底理解している人のことです。
丸和育志会は、バランス感覚に優れた個人の自由な人脈と自由な組織脈のなかで、生涯学び、教え、考え、実践し続けることができる「常に前向きで元気に溢れた“志”グループ」であり続けたいと考えています。