丸和育志会とは

丸和育志会の目指す未来

「人が集い、自由な価値と成長を
生みだす場でありたい」

公益財団法人 丸和育志会理事長:橋本忠夫インタビュー

(聞き手:坂根秀和)

公益財団法人丸和育志会(前身の丸和育英会を含む)は2024 年(令和6年)12月で発足から50年、現在では給付型奨学金事業に加え、ソーシャルビジネス支援事業を行い、ELPASO会という会員組織もサポートしています。

なぜ、奨学金事業だけでなくソーシャルビジネス支援なのか、なぜ、ELPASO会のような会員組織を展開しているのか、さらに、未来に向けてどのような活動を行うのか、橋本忠夫理事長のインタビューを通じ、その背景にある考えも交えてご紹介します。

丸和育志会を設立した経緯とは

ーーー理事長が「丸和育英会」を引き継ぎ、「丸和育志会」として再スタートした経緯を教えてください。

橋本理事長(以下、橋本):丸和育英会の奨学金給付事業は、篤志家髙𣘺福造氏の寄付金を基金として、1975年1月にスタートしました。その後、平成に入って「公益法人改革」が政府主導で推進され、国内すべての公益法人が一から出直しとなったのを機に、丸和育英会も存続するかどうかの判断を迫られたのです。

その背景には、政府日銀の低金利政策による各財団法人の収益悪化があります。とくに丸和育英会のように財団の収益源が基金運用だけの場合、利金収入激減対策は財団を設立された基金提供者やその承継者に頼るしかありません。

しかし、長く続くデフレ経済下では当該企業にも資金援助や人材提供の余裕はなく、新しい法律のもとで全公益法人が取り組みの改革を求められたこの時期に、すべてを委譲したいとの申し出があったため、引き受けることにした次第です。

ーーー運営資金も人材もすべてカットされた状態で、育英会事業と新しい事業に必要な資金を確保する自信はあったのですか?

橋本:明治以来、はじめて法律で「公益法人」が明確に定義されました。その内容に違和感はなく、また資金や人材の援助ゼロは深刻とはいえ「基金取り崩しや新たな寄付を募れば当面は何とかなるのでは」と安易に考えていました。

ところが初年度の決算資料を見て改めて驚きました。奨学生35名に支払う奨学金総額が、基金から得られる収益総額の1.5倍、つまり経費と人件費がすべてゼロ(そんなことはあり得ませんが)だとしても大赤字で、現金残高はたちまち激減してしまいました。

通常の企業会計とは異なり、公益法人会計では原則として「赤字よし/黒字はご法度」です。この状態が続けば、いずれ基金はなくなり法人は倒産となります。それを篤志家の寄付金が社会貢献事業に使い尽くされたとみなせば、行政庁としては特段の問題とは認識しないのです。

事業の継続に社会貢献の意義を見出している我々としては、そう簡単に同意はできません。そこでリスクを覚悟し、金融環境の風を予想して基金ポートフォリオを少しずつ数年間かけて大きく変更しました。その結果、奨学金給付事業とソーシャルビジネス支援事業の経営がしばらく安定状態となりました。

ところが、突如コロナパンデミックに襲われ、またまた冷や汗が出る状況が続きました。税引き後の利益の分配を動機とする営利法人と、税金免除で公益を動機とする公益法人の違いがよくわかりました。

公益財団法人も環境に適応した経営が必須、という実践知を経験したわけですね。

ソーシャルビジネスを支援する理由

ーーー内閣府に認定された翌年にソーシャルビジネス支援事業を追加申請されていますが、ソーシャルビジネスの構想や方針は当初から明確だったのですか? 

橋本:その頃、私は多摩大大学院専任教授で、研究科長も兼務していたため、大学院の教授や心ある友人たちと「意味のある事業とは何か」という議論を重ねました。

そのとき強く頭にあったのは、“ジャパンアズナンバーワン”と言われた日本がなぜ『失われた10年、20年』(現在では失われた30年)から抜け出せないのか、ということでした。

法律が改正され、新たな公益法人に認定されたのに、以前と同じ「奨学金事業の継続」では我々自身の志も低過ぎるのではないか、そこで日本の国力強化も見据え、「ソーシャルビジネス支援事業」を追加しよう!となった次第です。

最初に議論を重ねたメンバーには、経営学、なかでもアントレプレナー、イントラプレナーやベンチャー学会の先生、さらには数十年前の起業先駆者や、成長段階の企業経営者も少なくなかったため、ソーシャルビジネスの支援について大きな不安はありませんでした。

ただ、構想や方針は明確だったのかと問われると、詳細まで綿密に計画していたわけではなく、活動しながら検討していこうと考えていました。

いずれにしても、初期段階からご協力いただいた知的・資金的支援者の皆さまには、感謝!感謝!です。

ーーー今でこそソーシャルビジネスという考え方は理解されると思いますが、当時はまだあまり馴染みがなかったのではないですか?

橋本:そうですね。関連省庁のホームページでも「ソーシャルビジネスとはビジネスの手法を用いて社会課題を解決する」という表現だけで、NPO法人・非営利法人との違い、政府・自治体の役割の変化などコンセプチュアルな説明の積極的な発信はなかったように思います。

ただし、我々にはバブルとその後の失われた30年が強く頭にありました。

バブル期のジャパンマネーの使い道が、70億円の絵画購入や2,000億円のN.Y.ビル買収(いずれ倍で売却できる?)の類が多かったことを振り返ると、営利企業の大半は、短期的な利益志向で次世代のための事業投資などにはほとんど関心がない、と改めて感じました。

また営利法人による利益優先のための不正事件が後を絶たない。その一方で、大企業のホームページには社会貢献が盛んに謳われています。

そこで丸和ソーシャルビジネスのコンセプトには、事業をまじめに営む営利法人を加えることにしました。「まじめ」とは利益優先による不正は絶対にしないという意味です。

その営利法人をソーシャルビジネスに取り込むことは、利潤追求を強調しすぎる資本主義自体の改革にもつながる大切な視点だと思ったからです。

もう1点は、ソーシャルビジネスが社会的弱者救済事業といった領域に押し込まれることを避けたかったからです。お金を稼ぐことに逡巡しているようでは、ビジネスは成り立ちません。

ーーー 「ソーシャルビジネス」を起業する方たちにとって、一番必要なものは何でしょうか?

橋本:それは丸和育志会理念のキーワードでもある「志と富のバランス」だと思います。

高度経済成長を経て先進国の仲間入りを果たした延長線上に到達した価値観が「金だけ・今だけ・自分だけ」で、そのバブル経済も崩壊したとは何とも空しい限りです。

一方、日本ではいい仕事をしていても「なんだ、金儲けでやっているのか」といわれたとき「金を儲けて何が悪い!」と言い返すことが憚られる根強い清貧思想があります。

文系人間か理系人間か、スペシャリストかジェネラリストか、生命か経済かと問われたときに、大切なことは実体の把握です。にもかかわらず、何でも簡単に二項対立軸に搦め取られ、どちらかを選ばなければならないと思い込む思考癖は、何としても克服したいものです。

営利だけが目的の人生が空しいのは当然ですが、お金なしには大きな社会課題の解決が無理であることは誰もが理解しています。

漢字や漢文を中心としながら、ひらがな、カタカナも浸透させた日本文化、京都の天皇権威と鎌倉・江戸の武家権力、神道と仏教を並立させてきた柔軟でしたたかな伝統はどこに消えたのでしょうか。

さらに「金儲け」については熱心でも、「金づかい」すなわち自分と他人のための意味あるお金の使い道を考えている人が驚くほど少ないという事実は、今後の社会を考える上で軽視できません。

なぜ、日本でイノベーションが生まれないのか?

ーーーこの日本経済の30年は成長が停滞していると言われますが、その原因についてどうお考えですか?

橋本:日米貿易不均衡と米政府戦略、プラザ合意、円高と不動産バブル、非正規社員増や低金利政策、デフレ経済のなかで、いつどうすればよかったのかとなると明快な回答はありません。また近代以降の欧米に追い付いた日本が、先導者のいない土俵に押し出されてしまい、困惑したことは既に述べた通りです。

失われた30年は、日本の「イノベーション後追い戦略」の破綻が露呈した結果であり、未来に向けた教訓ととらえるのが適切ではないでしょうか。

グローバルなイノベーション成功モデルが明確だった時代は、それを追いかける製品やプロセス開発イメージも明確で日本人の能力もそれなりに発揮されました。

ところが先導者なき土俵では、特定分野の優秀さだけでイノベーションは生まれません。マーケットはもちろん、文化、歴史や世界の変化に適応した総合的な構想力、そして実行力の強化が必須です。

「先取り戦略の不在」は、イノベーション投資の機会損失や〖イノベーター〗を賞賛する文化の形成もサポートもしないまま、長期の国力低下が続いています。まずは、この状態から何とか脱出したいと思う人間のネットワーク化が第一と思います。

ーーーアメリカという国はある程度成熟していると思うのですが、常にイノベーションを生み出し、成長を続けているように見えます。

橋本:アメリカ人は、常に何か新しいものを追い求めないと納まらない国民性だと思わざるを得ません。

ピーター・ドラッカーは「1850年以降、イギリスが産業国家としての優位を米独に追い抜かれた原因は経済や技術ではなく社会にあった。イギリスは科学者には敬意を払ったが、テクノロジストを職工の座にとめおき、社会的に高く評価しなかった」と述べています。

同様に、異質だとみなせば出る杭を打つ、相手が強ければ不当な非難に抗することなく我慢する、という日本人の国民性は今や大きな問題です。

日本の未来と国力回復にとって、強い同調圧力文化が致命的な弱点であるとすれば、その克服策を、問題意識を共有する人々とともに具体的に考えるしかありません。

ーーー日本では「イノベーションが必要だ」と叫びながら、自らの組織の構造が、新しいことに取り組む意欲を阻害している企業や組織も多いように感じます。

橋本:それは組織に対する誤解もあると思います。「今日のメシを稼ぐ定常業務」と「1回きりのプロジェクト業務」は経営の両輪ですが、通常の組織図は前者の業務管理のためのものです。そこではルール通りのオペレーションの徹底に加え、業務目的から常にルールを見直し、改善、修正の継続が基本的な行動です。

一方イノベーション関連業務は、前者とは大きく異なる典型的プロジェクト業務であり、適切なプロジェクトマネジメントが必須です。プロジェクトメンバーは各部門の代表者意識を捨て、目標を共有化してその達成に結集することが必須ですから、マネージャーの最重要課題は「達成できれば素晴らしい/達成できるかもしれない目標の設定」となります。

両業務はまさに経営の両輪でありどちらも重要です。ただ、後者の仕事を前者の組織で推進することはできません。イノベーションは後者の成果として期待され、その結果が定常業務に組み込まれた後に起こる現象です。

ーーーこれまでの日本企業は縦割型の構造とそれぞれの役職が合理的、効率的に生産性を高めてきたと考えられますが、それはイノベーションとは別の仕事だと?

橋本:そうです。日本におけるイノベーション例である「トヨタ看板方式」「ヤマト宅急便」「7-11コンビニモデル」「ZOZO-Suit」「SONY-PlayStation」「LED青色電球」を見ても、トップが強くコミットしたプロジェクトです。

これらは定常業務のように課長、部長が順に承認する仕事ではなく、関係者が一堂に会し、その場で意思決定していく性格の案件です。そこでは、定常業務が持つ「繰り返しによる専門性の深化」は期待できないため、メンバーは上下関係を意識せず、目標達成に強くこだわる態度、仕事の進め方が求められます。

そのなかでももっとも困難な仕事が「起業プロジェクト」かもしれません。

どんな大企業でも、創業者は「達成できれば素晴らしい/達成できるかもしれない目標」に向かい、能力全開で集中し、孤独に耐えて突き進んだことを思うと頭が下がります。

その行動を支えたのは、「やるべきである/やらなければならない」という義務感よりも、それを含めて創業者はやりたかったのです、という表現の方が適切に思えますよね。

ーーー Google、Apple、MetaMicrosoft、Amazonなどは、私たちの日常生活に不可欠なブランドとなりました。半導体や家電においても日本のメーカーの入る隙はほとんどない状態だと多くの人々が嘆いています。

橋本:そういう表現はごく一般的な日本人の心境を表しているとは思います。ただし、それは過去何度も聞かされてきた表現です。要するに、隙がないと言えばない、あると言えばある。日本が世界の半導体のシェアの半分以上を握っていた時代に、それを認めなかった人々が現在の覇者になったことは明白な事実です。

やってみなければわからないのがビジネス(とくに起業)であることを思い起こす必要があります。行動しなければ、自分も世の中も何も変わりません。代替案も提示せず、時間とコストをかけ、リスキーなので実行しない方がよいという資料を示すことが、中途半端に頭の良い人たちが好むことです。

未来は誰にも分かりません。失敗することをおそれて何もしないという考え方よりも、未来に向かって行動するエネルギーを与えてくれる思考や人間と親しくなりたいものです。我々日本人も、数万年前にアフリカから危険いっぱいのグレートジャーニーに続々と旅立った人類の子孫なのですから!

資本主義の原点はオーナー経営?

ーーー理事長は大企業での経験は豊富でしょうが、大企業との関係は薄いと思われる「起業」に関心を持たれたのはなぜですか 

橋本:私は大手食品会社に入社し、さまざまな仕事を経験しました。上司、同僚、部下にも恵まれ、経営についても自分なりに総括して何冊かの書籍も出版するなど、サラリーマン生活は充実していました。

経営に関して興味を持ったのは、私が入社したのがオーナー経営企業だったということが一番、影響が大きかったと思います。

どんな大企業も元は中小企業であり、そのルーツは創業者による起業です。その創業当時の理念が単に社史に記述されているだけの会社と、現在も脈々と生き続けている会社とがあります。私が入社したのは後者で、創業当時の理念が生き続けている会社でした。入社後、常に創業者の情報をインプットされ、歳を経るにつれ、起業なるものについてあれこれ考えるようになりました。

当時の若者にとっては、よく勉強して有名大学に入り、卒業後は名の通った企業に入社するのが共通の夢でした。創業者の話を聞き、自分自身を振り返ると、自らの志の小ささには恥ずかしさを感じていました。

ーーーということは、「起業経験」そのものが重要であると? 

橋本:その通りです。私が経営情報学大学院で講義することになり、過去のさまざまな経験を自分なりに総括したとき、起業経験の重要性に改めて気づかされました。

経営はやってみなければ分からないことが多く、現時点の経営学は、科学からもっとも遠い学問分野です。なかでも起業ほど難しいものはなく、企業経営は起業経験なしには到底理解できないと痛感しました。

自分が発想したオリジナリティあふれる事業に、自らの資金と時間を投入し、その成功実現を目指して邁進する行動は素晴らしいと思います。

オリジナリティがありイノベーティブな事業であれば、その時代の多数派の賛同は得られにくいものでしょう。それを「やってみなければわからないだろう」と、反対者を押し切って断固実行できるのはオーナー経営者だけです。

その行動が、強い当事者意識(sense of ownership)を生み、多くの人間を感動させ、社会的意義を獲得していく過程は、人生でもめったにない「生き方充実物語」です。

本人自身の知力と人間力の向上も確実に実感できますから、資本主義の原点はオーナー経営にあると強く感じました。

ーーー多くの人間を束ねる〖プロジェクトマネージャーや起業家〗にはとても高い能力が求められそうですね。

橋本:社会にも大きな影響を与えるイノベーション推進の中心人物ですから当然ともいえます。「達成できれば『素晴らしい/できるかもしれない目標』を設定し、それに至るステップの明示と強い達成意欲や行動力を持つイノベーター」です。

目標に向かってプロジェクトを着実に進めるには、さまざまな能力が必要です。

能力は本来多様で捉えにくいものであり、言葉で表現した能力が個人ごとに分布しているわけではありません。また数値で表せないものだからこそ、困難な状況に際して思わぬ能力が引き出されることもあります。その事実認識と理解を前提にすれば「状況に対峙して柔軟で多面的かつ、創造的に考え行動する力」が求められます。

そして、イノベーションに連なる困難な課題に取り組む〖イノベーター〗を尊敬する文化が浸透すれば、社会は変わるに違いありません。

ところが、社会の尊敬対象となるのは、受験中心の「高偏差値者」となっています。

エスカレートする偏差値教育の功罪とは?

ーーー日本では「偏差値が高い人=頭がいい人」として評価され、尊敬対象となりますが、少しちがうと考える人も少なくありません。そもそも偏差値とは一体何を表すのでしょうか

橋本:学力偏差値とは、自分の成績が0~100点のどこに位置するかという直感に合うよう計算方法を工夫したものです。自分の点数から受験者の平均値を引き、それを標準偏差で割った後10倍して50点を足すというものです。

成績が正規分布しない場合や、AO入試が増えていることを無視したままの学校評価など、使用法に問題があるといわれています。

一方、偏差値よりもそのデータ源である入試問題自身の根本的問題が改善されていません。高偏差値獲得のための数年間の受験勉強(正解が必ずある問題に対し、時間内に正解にたどりつく思考訓練)は、当然それに見合う変化を脳に引き起こします。

現在の偏差値は、人間の能力の一面を表していることは確実ですが、脳が持つ多様性・創造性や全体的な俯瞰力を軽視しています。

部分的な能力表現(高偏差値脳保有者)を総合的能力表現(頭がいい人)とする誤解は、多くの人のさまざまな可能性を排除し、社会活性化の大きな障害になっています。

ーーー偏差値の高い人と仕事ができる人とは、もともと直接関係はないと思っていましたが、能力や能力主義ももう少し深く考え直す必要がありますね。 

橋本:頭のいい人とは、と生成AIにたずねてみました。

「頭のいい人にはいくつかの共通点があります。1. 好奇心が強い 2. 論理的思考ができる 3. 柔軟な思考ができる 4. コミュニケーション能力が高い 5. 問題解決能力が高い これらの特徴を持つ人は、日常生活や仕事において優れたパフォーマンスを発揮することが多いです」とありました。

後日、同じ質問を同じAIにたずねてみたところ「1. 論理的思考 2. 広い視野 3. 向上心 4. 謙虚さ 5.共感力」と4項目が変わっていました。生成AIもいろいろな考えがあって困っているのでしょう。

人類の歴史上、どんな哲学者も明確な認識に達しなかった「人間」をある仮説で扱う場合は、特定条件下での事例に過ぎないことを肝に銘じる必要がありますね。

ーーー能力の多様性を偏差値が混乱させているわけですから、「高偏差値者=頭のいい人」という思い込みを捨てないとそれは無理な話だというわけですね。

橋本:そうです。長年、偏差値にセットされた受験勉強により、高偏差値者の脳は、現状維持の問題に向いており、成功確率の低い挑戦プロジェクトには不向きの人が圧倒的に多いです。

こう言われて怒る高偏差値者がいるとすれば、妙なことです。

自分は正解のある問題も正解のない問題の解決も両方できると喜べばいいのに、高偏差値者というレッテルがよほど居心地がいいのでしょう。その居心地の良さをここでは問題にしているのです。

高偏差値者が、日本社会のシステム維持のためのエリートとしての役割をしっかり果たしてきたことは事実であり、正当に評価すべきです。一方、挑戦プロジェクト向きの人材が、偏差値世界とは異なる分野で育つ仕組みがいまだに存在せず、問題意識すら社会化していない状態が続いています。

日本のノーベル賞受賞者・候補者・研究者は社会から尊敬されています。一方、成功したイノベーター・その候補者・起業家が尊敬されることは稀です。

イノベーションは、特許取得者や企業が大きな利益を得る場合もあるため、短期思考と嫉妬心を刷り込まれた人々は気に食わないのかもしれません。イノベーターが自分の思いを発信すると、問題点を指摘することが得意なグループが登場し、その思い=出る杭を打ち倒してしまいます! 

これは由々しき問題であり、イノベーターを尊敬しない文化が「失われた30年の大きな原因のひとつ」と言っても過言ではありません。

「自分の人生の主導権」を握るための学び

ーーー高偏差値者は困難な課題には取り組めず、突出するイノベーターが尊敬されない原因は文化にあるということですか?

橋本:どんな文化にも、当然、正の側面・負の側面があります。

「和を以て貴しと為す」は立派な文化です。その負の側面は、多数が「和を乱す」とみなした者を仲間はずれにしがちなことです。和を乱さない間は無責任な行動を容認しておきながら、悪い結果が明確化し、それを非難する意見が多数派となった途端、再発防止のためとは名ばかりの厳しい責任者(炙り出し)追及モードに急変します。

そのため、大企業病に侵された組織では、「責任回避」が主たる行動パターンとなりました。

責任を問われるような立場には決して身を置かないように常に細心の注意を払うクセがつき、具体的には、指示命令された仕事しかしないという組織風土が浸透するわけです。

言われた通りに実行したのに結果がよくなければ、その責任は指示命令した上司にあり、自らは安泰でいられます。これに「答えのある問題の正解にたどりつく競争に明け暮れた偏差値脳」が追い討ちをかけます。

これらの行動スタイルでは、自分の人生の主導権を得ることは到底できません。

ーーーなるほど「自分の人生の主導権」を得るということは、与えらえた仕事で良い成績を出す能力だけでは得られない?

橋本:丸和育志会では2つの事業を通じて、「志/自立心/学習心/仲間づくり力」の強い学生を社会に送り出すこと、および自ら発想し構想したソーシャルビジネス事業により生活基盤を確立し、社会の活性化に取り組む起業家を支援しています。

そこで、それまでは成績と経済的困窮度で選考していた給付型奨学金についても、2022年からは経済的困窮度を選考基準から外した「チャレンジ奨学金制度」に現在もチャレンジ中です。

また、初等中等教育の目的と各学科内容の主たるポイントと社会人から見た問題点を青色でマーキングしてみました。これに加え、環境としての自然・人間・社会については、経験と実感を伴って学ぶことがどうしても必要だと考えています。

橋本:国際バカロレア機構(IB:International Baccalaureate;国際バカロレア)の学習者像は、個別・分析的ではなく全人的目標記述ですので、先生・生徒・家族・社会人など当事者間の議論を意義あるものにする可能性が高く、参考にすべきと思われます。他人や社会を意識した「志」は、この期間に形成されるのではないでしょうか。

<IBの学習者像>

IB(International Baccalaureate;国際バカロレア)機構(本部ジュネーブ)が実施する国際的中等教育プログラムのイメージ

橋本:その学生、およびソーシャルビジネス経営者、すなわち自分の人生の主導権を自分で握りたい人のための初等中等教育と生涯学習に関する見取り図を作成してみました。これは人生100年時代の起業家の生涯学習・生涯教育のイメージ図です。

橋本:自分の能力や経験を、世の中に役立て納得した人生を送るという観点から、年齢・性別・国籍等に関係なく大真面目に議論をしてみたいものです。人生観は人により様々,は当然のこととして、議論の叩き台が必要と考え作ってみたものです。

ーーーこのイメージ図にあるように、起業は若者のものではなく、60歳から先に「2回目のゴールデンタイム」があり、起業するチャンスもあるぞというのも元気の出てくる話題です。

橋本:昔の平均寿命のように、60歳定年70歳死亡と考えると最後の10年は悠々自適に過ごしたいというのが自然な欲求ですが、人生100年と言われると定年後の人生が長過ぎます。

もちろん健康状態や価値観、生きるエネルギーは人によってまちまちです。ただし、自分の人生の主導権を自分で握る時間は長い方がよく、フランクに付き合える友人は多い方がよいと誰しも思います。

50代後半の貴重な時間をボサッと過ごすと、なぜか自分の人生の主導権が逃げてしまうようです。所属組織や昔の肩書に頼らない自分自身の「2回目のゴールデンタイム」を生かし、ローリスクでローリターン(チャンスを掴めばハイリターン)事業などを自由に構想することは、受け身人生から脱する最後の機会です。

ELPASO会で入会者を募り、「自分で考え・仲間をつくり・実践する」ポジティブな人生を送る人々を増やしたいと思います。

いつでもどこでも集える「場」をつくっていく

ーーーさまざまな課題のために取り組む丸和育志会ですが、未来に向けて考えていることは何でしょうか?

橋本:丸和育志会は、2024年12月末で設立50年を迎えました。これまで述べきた考え方を修正することは考えていません。受賞者や会員の自主的コミュニケーションを活発化し、形式より実体を強化していきたいと思います。

“新しい、面白い、楽しい“と参加者が思うプロジェクトやイベントを企画・立案・実施し、結果として“感動した、満足した、元気が出た”となり、自分も企画・立案・実施側に立ちたいと思い、実行する会員が増えていくことが理想です。

50周年記念プログラムとしては次の8項目を考えています。

  1. ウェブサイトリニューアル
  2. 奨学生の範囲拡大
  3. ソーシャルビジネス賞の応募者・受賞者との関係強化
  4. ELPASO会事務局機能強化とプロジェクトの企画立案
  5. 研究会の質的強化
  6. 50周年記念式典 2025.11.24(祝日)
  7. 実践知学習教育支援ネットワークの設置
  8. 関係者がいつでも集える場の確保(リアル&バーチャル+共創)

このなかで、「8」は関係者間で前向きに、かつ具体的効果についてさらに深く議論する必要があります。

ーーー現在、「丸和ソーシャルビジネス研究会」はおもにリモート開催ですが、今後はリアルとバーチャルの組み合わせを予定としているそうですね。中心となるテーマは何になりますか?

橋本:後世に残すべきは、やはり「人」です。丸和育志会が取り組むのは、次の時代に中心となって活躍する起業家(起業後は企業経営者)の育成です。「21世紀にふさわしい経営者イメージ」について当事者意識を持つ人が集い、「実践知」を中心に議論を深めたいと思います。

ここでイメージしている「経営者」とは、ハーバードビジネススクールをトップで卒業した辣腕MBAではありません。

20世紀は、政治と経済を別個のものとして考えることが可能でした。現在でも多くの人が世界をそのように把握しており、むしろ経済が政治を動かしていると思い込んでいる人も少なくありません。

21世紀は、政治・経済・社会・文化・スポーツ・医療・芸術・環境などの多要因が複雑に絡み合い、思わぬ力学を生み出しながら動くものと考えます。ですからビジネスだけに深い知を持つ経営者がパワーを持ち続けることは不可能でしょう。

「オールマイティ人間=超人」は存在しません。ところが、実務上は「権威ある専門家=その分野での超人」が存在するという虚構の中で社会は動いてきたようです。「超人」が存在するという仮説が正しければ、多くの人にとっては「指示に従う行動と明らかな失敗に対する責任追及」という安易な人生を送ることが可能となります。

大学院の研究科長時代に、もっともプレッシャーを感じたのは毎年のカリキュラム編成でした。

旧来のマーケティング、サプライチェーン、ファイナンス、組織、R&D等に、時代に即した流行科目を含めるとかなりの科目数と科目内容となります。ところがそれに匹敵する「社長学」はどこのビジネススクールにもありません。

なぜ「社長学」がないかと言えば、超複雑化した現代で全権限と責任を持つトップの仕事を、学問的に明確化して授業を行うことはできないからです。

クレバー(clever)からワイズ(wise)へ

ーーー「丸和ソーシャルビジネス研究会」は議論を通じて「社長学」に必要なものをともに考えていこう、という場になるということですね。

橋本:そうです。1950年代、60年代の日本的経営が上手くいっている時代は、社長、とくに大企業のトップに求められたのは「人格者」であることでした。消費や需要が生産を上回っていたため、社内が団結して良い製品をつくれば会社はどんどん発展したからです。

その後、トップの大胆な戦略とすばやい意思決定能力が叫ばれるようになり、「選択と集中」を中心に、強引であろうと、とにかくやり抜くトップがもてはやされました。

現在は、理想的なトップのコンセンサスあるイメージなど到底描けず、出口の見えない状況が続いています。現代の「複雑な超カオス時代」においては、分析よりも総合することの困難さに世界中が困惑しています。その困難な仕事を、超人ではないトップ個人の責任(権限)とすることの矛盾に多くの人が気づき始めたのではないでしょうか。

私は、社内外の複数の人の「有益な知」をまるで「個人の知」のように「インテグレートすること」が、今後の経営者の重要な仕事になると思います。

ソーシャルビジネス研究会も、「経営学の知」に、事実とさまざまな人たちの経験から得た「実践知」を加え、新時代のトップマネジメントコンセプトとその具体的スキルが中心的テーマとなってゆくものと予想しています。

どれだけ知能指数が高くとも「21世紀の超カオス世界を見抜ける超人」が存在するとは思えません。

トップには〖AI〗をも含め、多くの人の前向きな意見を「集約し総合化する力」こそが求められます。しかしその総合知は、今や死語となった「集団指導」や「民主的経営」とはまったく異質のものです。それは知の洞察と知を深める技術のサポートなしには実在しないものと思われます。

私は“クレバー(clever)からワイズ(wise)へ” という仮説メッセージを掲げています。

この仮説に賛同する人がどの程度存在するか不明ですが、その妥当性について議論し、実践知として深めていけば、世の中が明るく前向きになるのではと期待しています。

ーーーその「クレバー(clever)」と「ワイズ(wise)」の違いをもう少し説明願えますか?どちらも「賢い」と翻訳されますが・・・

橋本:ビジネスの世界において経営責任とは結果責任です。ワイズ(wise)なリーダーとは、自己にこだわらず、状況に応じて自由自在に出たり引いたりすることのできる人間です。言い換えれば「企業内でもっとも自己中心的でない人物」といえます。

クレバー(clever)からワイズ(wise)へ” という仮説メッセージに対する最も強力な反対者は、たぶん実際のクレバー(clever)なトップ、リーダーでしょう。彼ら彼女らは、一番優秀だとして選ばれた人間が全権力を握り、失敗すれば辞任すればよいと信じているからです。

その一番優秀な人間が辞任すれば、いままでよりクレバーではないトップが就任するという理屈になります。そのような責任呪縛の繰り返しの中で徐々に経営レベルを落としていく仕組みを内包した組織が賢明だとは思えません。

深い経営哲学と経営スキルを持ち、人間の能力の本質とその限界を認識しているワイズ(wise)なトップのイメージが想定できれば、組織の行動は大きく変わるのではないかと思います。

ーーーリーダーとしては「人を動かす能力」というのも求められますよね。

橋本:人を動かすというのは本当に大切ですが、「人を動かす」ということは「人に動かされる」ことともいえます。動かすという言葉にとらわれ過ぎると、人の心を操作するという発想が染み付き、かえって人は動きません。そうすると権力者は権力で、富裕者はお金で人を動かそうとします。

人を動かす源泉は、やはり「誠意+知力・人間力」ではないでしょうか。それに必要に応じて、権力とお金を付け加えれば、鬼に金棒です。

ーーー本日のお話もそうですが、フラットでオープンな場で、さまざまなテーマを議論し、いろいろな意見を交わしていくことが重要であると思いました。

橋本:丸和育志会に集う人々が、さまざまな経験に基づき、フランクで自由闊達で前向きな議論を通じて、自分で考え、仲間をつくり、実践すれば、日本が再び世界に一目置かれる存在となるにちがいない、と夢想しています。

その夢想が実現する未来の到来を確信し、丸和育志会は公益目的事業を継続・推進していきます。


橋本忠夫(はしもとただお)

公益財団法人 丸和育志会 理事長/工学博士

京都大学工学部(数理)卒業後サントリー入社。SCM本部長などを歴任、取締役退社後は多摩大学大学院経営情報学研究科長教授を務める。ライフパース(株) 代表。
著書に『変革型ミドルのための経営実学 -インテグレーションマネジメントのすすめ-』『起業する前に読む本』 (芙蓉書房出版)など

聞き手:坂根秀和(さかねひでかず)

コンテンツマーケティングプロデューサー/コピーライター/音楽家

多くの企業のマーケティングやブランディングに成果を出すWEBサイト構築・戦略コンサルを行う。近年ではオウンドメディア運営に力を入れており、政治家、経営者、文化人、ビジネスパーソン、ミュージシャン、アスリートなどジャンルを問わず数多くのインタビューを行っている。

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