第25回ブログ(2020.10) 小林康夫:役に立たない本を読む

 昨年末わたしは、『若い人たちのための10冊の本』(筑摩プリマー新書)を上梓しました。これを丸和育志会専務理事の橋本さんにお送りして読んでいただきました。その後、橋本さんと「読書・本」についてメールのやりとりがありました。

その経緯を踏まえて、それではELPASOの会員のみさま相手ならば、わたしどういう語り方をするだろう、と考えたことをここに短いエッセイとして投稿します。

この本はだいたい16歳くらいの中高生を相手に、70歳のわたしが、これまでの読書経験を踏まえて、どんな本を薦めるか、を書いたものでした。でも、この本の底を流れるわたしの心は、一言で言えば、若いときこそ、本を通して、人間とはなにか?世界はどうなっているのか?「生きる」とはどういうことなのか?———そういった根源的な問いを学んでほしいということでした。

間違えないでいただきたいのは、こういう問いに対する「正解」を与えてくれる本を読みなさいということではなく、けっして「正解」などというものがない、むしろ人それぞれによって「解」が違ってくるような、しかし「人間」にとって普遍的な「問い」を問うことを学んでほしいということです。

 でも、そうであれば、それは16歳の少年少女にだけあてはまることではありません。そう、この本を読んだ橋本さん、すぐにメールで感想をくださったのですが、メールは次のようにはじまっていました————「いただいた本2回読みました。タイトルは『若い人のための10冊の本』となっていますが、本の内容=先生の言いたいことを考えると、これはやはり「老人のための10冊の本」でもあり、「壮年のための10冊の本」でもあると言えますね。

生涯学ぶ人間にとっては、「16歳から死ぬまで何度でも読んだ方がよい10冊の本」が本当のタイトルですね!?」

 ありがたいことです。その通りです。人間は「学ぶ動物」です。「死ぬまで学ぶ」こと—————それだけが、人間のミッションです。そしてその「学び」には終りがない。限界がない。しかしほんのつい最近まで、人間は自分の人生を通してしか学ぶことができませんでした。

 ところが、(グーテンベルグの「革命」!です)、本というものが生まれ、われわれは、自分の世界・自分の人生を超えた世界そして人間を、みずからの想像力を通して「生きる」ことができるようになりました。これは途方もなくすごいこと。

しかも、本の場合は、最近のテクノロジーがもたらす映像やVRなどとはちがって、言葉を通して、自分でその世界を共有的に立ち上げなければならないのです。それは、いくぶんかは自分がその自分の知らない世界を「つくり出す」ことでもあるのです。
 
 ですから、もっとも根源的な意味においては、本を読むということは、自分の知らない世界を自分自身の想像力と論理力でつくりあげることです。ここに本の価値がある。

 となれば、帰結はただひとつ、すぐになにかのお役に立つような本は、その意味では「本」ではないということです。

 それは、トリセツが本でないのと同じです。本は一個の世界です。あなたの知らない、しかし人間の世界です。それは、究極的には、あなたの可能性の一部であるような世界なのです。

 
 16歳の少年少女は、そのような直接に役に立たない本をむさぼるように読むことができます。ところが、大人になると、途端に「生活」が動き出し、「役に立つ」ことばかり降ってくる。それから逃げようとすると、今度はいわゆるエンターテイメントが待っている。

 それもまたよし、しかしそれは忘却です。「学ぶ」ことの放棄です。「役に立つ本」と「その場の楽しみの本」のあいだで、「世界を学び、人間を学び、〈生きること〉を学ぶ」苦しい読書はますます顧みられなくなっていきます(もちろん、これは極論で、エンターテイメントのなかには素晴らしい「世界の学び」があったりもします)。

 
  だから、このショート・エッセイの今日の帰結は次のようなものです。みなさんが、————(たとえば一季節に一冊でもいいから)————自分の現在の「生活」と直結しない「役に立たない」本を読んでください、というもの。それが最新の天文学の本であれ、古代のシャーマニズム研究の本であれ、知らない国の小説であれ、同世代の俳人の句集であれ・・・・

 自分だけがみつけた、自分だけの、しかし「他者の世界」を、心が驚異(Wonder)で満たされるように、読みふけってくださいね、と。

 
 そう、「学ぶ」ということはWonderの経験なのです。そして、ほんとうの創造性というものは、Wonderからしか生まれてこないのです。役になんか立たない、それくらいWonderfulなもの。それが人生の唯一の真の「宝」です。

(東京大学名誉教授)

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