コラム

【ELPASO会員コラム44-3】人生100年時代に大人が子どもにできること

2026年10月23日

事務局

2026.10.23
立命館宇治中学校・高等学校 元校長 越智規子

 「人生100年時代」と言われて久しい。医療の進歩や生活環境の向上によって、私たちはかつてないほど長い時間を生きる時代を迎えている。しかし、それは単に人生の時間が延びたということではない。学び、働き、家庭を築き、やがて引退するという、これまで比較的明確であった人生のモデルそのものが大きく変わりつつあるということである。

しかも、子どもたちがこれから歩んでいく社会は、私たち大人が経験してきた社会とは、おそらく大きく異なる。AIをはじめとするテクノロジーの進展、グローバル化、人口構造の変化、環境問題、価値観の多様化。社会の変化はますます速くなり、「10年後にどのような仕事があり、どのような能力が求められているのか」を、今の世代の私たちが正確に予測することさえ難しい時代となってきている。

だからこそ、人生100年時代とは、単なる「長寿の時代」ではなく、人はいかに学び、いかに働き、いかに他者と関わり、そしていかに自分自身の人生をつくっていくのかを、改めて問い直す時代なのだと考える必要がある。そして同時に、私たち大人が次の世代に何を手渡すべきなのかを、根底から考え直す時代でもあると考えている。

かつての教育は、一定の知識や技能を身につけ、それをもとに社会へ適応していくことを主眼としてきた。もちろん、基礎的な知識や技能の重要性は、これからも決して変わらない。しかし、変化の速度が加速度的に高まる現代において、一度身につけた知識だけで一生を生き抜くことは難しい。「正解」は固定されたものではなくなり、昨日までの常識が明日には通用しなくなることさえある。

そこで必要となるのは、新しいことを学ぶ力だけではない。時には、それまで正しいと信じてきた知見や価値観をいったん手放し、学び直す力も必要になる。何歳になっても自らを更新し続けることのできる人こそが、変化の激しい時代をしなやかに歩んでいけるのではないだろうか。

大人が子どもに与えることのできる最も本質的な贈り物の一つは、第1回にも書いたように、「学び続ける姿勢」と「変化を恐れぬ心」である。

それでは、その力はどのように育まれるのだろうか。

私は、それは単に教え込むことによって身につくものではなく、むしろ、大人自身の生き方や姿勢を通して伝わっていくものだと考えている。大人が既存の枠組みに安住せず、「なぜだろう」「もっと良い方法はないだろうか」と問い続け、新しいことに挑戦する。その姿を子どもたちに日常の中で示すことが、言葉による指導以上の教育的な力があると思っている。

これは学校教育に限った話ではなく、おそらく企業においても同じではないかと思う。組織のトップが学びを止めたとき、その組織もまた変化への感度を失っていく。反対に、経営者自身が未知の領域に関心を持ち、若い世代の意見に耳を傾け、自らの考えさえ必要に応じて更新する組織には、新しい価値が生まれやすい。教育も経営も、その根底にあるのは「人を育てる」という営みである。そして、人を育てる者自身が成長し続けることが、その出発点なのだと思う。

また、人生が長くなるということは、一方では「やり直すことのできる時間」が広がるということでもある。一つの失敗が人生のすべてを決めてしまうわけではない。進学、就職、転職、起業、学び直しなど、人生の途中には、これまで以上に多くの選択肢が生まれている。

それにもかかわらず、私たち大人は時として、子どもに「失敗しない道」を歩ませようとしてしまう。転ばないように石を取り除き、傷つかないように先回りしてしまう。しかし、本当に子どもの未来を思うのであれば、必要なのは失敗を取り除くことではなく、失敗から立ち上がる力を育てることではないだろうか。

挑戦すれば、当然失敗することがある。思い通りにならないこともある。しかし、その経験の中で人は、自分の弱さを知り、他者の痛みを知り、そして再び立ち上がる方法を学んでいく。そうして培われるレジリエンス、すなわち困難から回復し、再び前へ進む力は、長い人生を生き抜く上で極めて重要な資質となる。だからこそ大人は、子どもが失敗したときに、その芽を摘む存在ではなく、「挑戦したことそのもの」に価値を見いだし、次へ踏み出す勇気を支える存在でありたい。成功だけを評価するのではなく、挑戦の過程を認める。その積み重ねが、子どもの中に「自分はもう一度やれる」という自己への信頼を育てていくのではないかと思っている。

もう一つ、私はさらに重要だと思っているのは、「自分は何者であるか」という問いに向き合う力である。

膨大な情報があふれ、SNSを通して他者の成功や華やかな生活が絶えず目に入る現代では、私たちは知らず知らずのうちに他人の物差しで自分の価値を測ってしまいがちである。しかし、長い人生を歩む上で本当に必要なのは、他者との比較によって得られる評価ではなく、「自分は何を大切にしたいのか」「何をしているときに喜びを感じるのか」「自分は社会に対して何を差し出すことができるのか」という、自分自身への問いである。

社会がどれほど変化しようとも、自らの軸を持つ者は簡単には揺らがない。他者から与えられた評価ではなく、自分の内側から湧き上がる興味や使命感に基づいて生きること。その内発的な動機こそが、長い人生をしなやかに、そして力強く歩んでいく原動力となる。

大人の役割は、その問いに対する「正解」を子どもに与えることではない。むしろ、「あなたはどう考えるのか」「あなたは何を大切にしたいのか」と問いかけ、その答えが見つかるまで待つことではないだろうか。問いを持ち続けることの尊さを、子どものすぐ近くで伝えていく。それこそが、人生100年時代の教育に求められる姿勢だと私は思っている。

そして、これからの時代に欠かすことのできないもう一つの力、それは「他者と共に生きる力」である。

社会のグローバル化が進み、異なる文化、価値観、世代、専門性を持つ人々と協働する機会は、今後ますます増えていく。そこでは、自分と異なる考えを排除するのではなく、その違いを新しい価値を生み出す契機として受け止める力が必要となる。

求められるのは、単なる「寛容」ではない。他者の立場を理解しようとする想像力、自らの考えを誠実に伝える力、そして意見の違いがあっても対話を諦めない姿勢である。多様性とは、異なる人々がただ同じ場所に存在することではない。その違いが交わり、互いの知恵や経験が掛け合わされることで、これまでになかった価値が生み出されてこそ意味を持つのである。これからの社会で求められるのは、突出した一人の力だけではなく、異なる能力を持つ人々をつなぎ、その力を掛け合わせることのできる人である。人と競うだけではなく、人と共に価値を生み出す力。その力を子どもたちに育てるためには、まず私たち大人自身が、立場や世代を越えて対話し、協働する姿を示さなければならない。

そして最後に、大人が子どもにできる最も大きなこと、最も重要なことは、「信じること」だと思う。子どもは、何かが不足した「未完成の大人」ではない。一人ひとりが、まだ私たちにも見えていない可能性を内包した存在である。その可能性を、大人の経験や価値観という小さな物差しで測り、「あなたにはこれが向いている」「これは無理だ」と早々に規定してしまわないようにしなければならない。

花には、それぞれ適切に咲く時期がある。早く咲く花もあれば、時間をかけて根を張り、ようやく大きく花開くものもある。教育とは、その花を無理に開かせることではなく、いつかその子自身の力で咲くことを信じ、水を与え、環境を整え、待つ営みなのかもしれない。

時に遠回りに見える道であっても、それがその子にとって必要な時間であることがある。大人から見れば失敗に思える選択が、後になってその人の人生を支える大切な経験になることもある。だからこそ、「信じて待つ」ことには、大人自身の覚悟が求められる。

今回、3回にわたってコラムを書く機会をいただき、これからの時代における教育と大人の役割について考えてきた。

第1回で考えた「突き抜ける力」、第2回で考えた「世界の中での日本の教育」、そして今回の「人生100年時代を生きる力」。一見異なるテーマのように見えるが、その根底には一つの共通した問いが流れている。

それは、「人はいかに生きるのか」という問いである。

教育とは、未来の社会に適応できる人材をつくることだけではない。未来そのものをつくる人を育てる営みである。そして、企業経営もまた、利益を生み出すだけではなく、人を育て、社会に価値を残し、次の世代へ何かを手渡していく営みであるという点で、教育と深く通じ合うものがあるように思う。

子どもたちは未来そのものである。そして同時に、私たち大人の生き方を映し出す鏡でもある。「挑戦しなさい」と言うのであれば、私たち自身は挑戦しているだろうか。「学びなさい」と言うのであれば、私たちは学び続けているだろうか。「人を大切にしなさい」と伝えるのであれば、私たちは日々、目の前の人を本当に大切にしているだろうか。

子どもを育てるという営みは、実は大人自身が自らの生き方を問い続ける営みにほかならないのである。

未来は、誰かによって用意されるものではない。私たち一人ひとりが、次の世代と共につくっていくものである。だからこそ大人は、子どもに何かを「与える」存在であると同時に、子どもから学び、子どもと共に変わり続ける存在でありたい。世代を越え、立場を越え、互いの違いを認めながら、新しい価値を生み出していく。

 「共生」にとどまるのではなく、「共創」へ。

子どもたちの可能性を信じることは、未来を信じることである。そして、未来を信じるということは、私たち大人自身が未来に対する責任を引き受けることでもある。

次の世代に何を残すのか。その問いを持ち続けながら、大人もまた学び、挑戦し、変わり続ける。その歩みの先にこそ、世代を越えて互いに支え合い、新たな価値を紡いでいく、真に豊かな「人生100年時代」の姿が拓かれていくのではないだろうか。



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