【ELPASO会員コラム33-1】何か人生の羅針盤のようなものをお探しの方へ、是非お薦めしたい一冊の本

2023.11.24
ELPASO会員 本島明信

落語の「まくら」ではありませんが、お薦めしたい一冊の本の話に入る前に、少し回り道をさせて下さい。

いまから20年ほど前に、4年間アメリカの首都ワシントンDCに駐在したことがあるのですが、あるとき近郊のケンウッドという高級住宅街の桜の名所を観に行った際、思いがけず小さな疑問が心に芽生えたことがありました。

それは米国の初代大統領ジョージ・ワシントン(1732―1799)がまだ子供であった頃、お父さんがとても大事にしていた桜の木を斧で傷つけてしまい、そのことを父に正直に打ち明けましたら、父から怒られるどころか逆に褒め称えられたという逸話です。
自分が小学生のときに先生から教わったときには、とても良い話を聞いたと思ったものでしたが、大きくなって以降、少々素直さを失いかけてきたせいでしょうか、「ジョージ・ワシントンが子どもであった頃に、桜の木が本当にアメリカにあったのか。作り話ではなかったのか」という疑問がふつふつと心の中に浮き上がってきたのです。

結果としては、その時代にジョージ・ワシントンの支持者の一人にメイソン・ロック・ウィ―ムズという牧師がいて、この人がワシントンの人柄を表わすエピソードを作ったのが広まって行ったらしいのですが、見方によってはとても上手なイメージづくりであったと言えそうです。

似たような話に、アイザック・ニュートン(1642-1727)がリンゴの木の下で瞑想に耽っていたとき、万有引力のヒントを得たというのがあります。
これも幼い子供でも容易に理解できるような、実に分かり易い内容で、上手に話をつくるものだなあと感心していたのですが、こちらの話はニュートン自身が書き残したものはないものの、彼の友人の一人が直接ニュートンから聞いたという記録が残っているとのこと。
ニュートンが自宅の庭先のリンゴの木(=ケントの花という品種)の下で、「何故リンゴはいつも地面に向かって垂直に落ちるのか」という命題に思考を巡らしていたとき、実にタイミングよくリンゴが一個落ちてきて、それが万有引力発見の大きな糸口になったというのです。

「まくら」の話を延々と続けるわけにはいきませんので、大事なことを一つだけ強調させていただきたいのですが、それはニュートンがいまでいえばNHKのチコちゃんから「ボーっと生きてんじゃねーよ」と叱られるような生き方でなく、つねにきちんと問題意識を抱いていたという点で、そこにリンゴが一個落ちてきたということなのです。
表現を変えれば、リンゴの木の下で大きなお皿をもって待っていたようなもので、単なる偶然ではないということをご理解いただきたく存じます。これこそ読書するときの要諦でもあるからです。

そろそろ本題に入らせていただきますが、これまで本を手に取って、読み進むうちに著者の並々ならぬ力量にひれ伏すような思いをしたことは、例えば竹西寛子さんのような実に謙虚で、ひたむきで、問題の本質を瞬時に掴んでは、一語一句全く隙のない表現で論旨をまとめ上げる方の作品――特にお薦めなのは「竹西寛子著作集 全五巻」のうちの第二巻「評論」(古典)なのですが――に巡り合えたときなどで、よくぞ自分が生きている間にこれほどの方の作品に邂逅できたものだと、心底から感服させられたものでした。

その延長線上に、実はこれから皆さんにお薦めしたい一冊の本、澤地久枝著「記録 ミッドウエー海戦」(ちくま学芸文庫)があったのです。

もう太平洋戦争が終戦を迎えて80年近く経ちますので、ミッドウエーと聞いてもご存じない方もおられるかもしれませんが、日本がハワイの真珠湾に奇襲攻撃を掛けてアメリカと戦闘状態に入ってから間もなく、ミッドウエー島周辺で両国の主力同士が遭遇し、そのときの致命的な敗北を契機に日本は一気に坂道を転げ落ちていくようになって行った、極めて重要な海戦であったのです。

自分が後になって幸運であったと思うのは、偶々2023年6月10日の時点で何気なくETVの番組表を観ていたときのことでした。『ミッドウエー海戦3418人の命を悼む 第一部「命の重さ」』というのが今日放映されるとあって、出演 澤地久枝とあったものですから、一体何故、女流作家がこういう番組に出演するのかとそこはかとない興味を覚えたのです。

続いて6月17日に放映された『ミッドウエー海戦 3418人の命を悼む 第二部「残された者たちの戦後」』と併せて、深く、まるで心の奥に烙印を押されたように思えたのは、画面に出てくる92歳の澤地久枝さんの自宅書庫の、整然と並べられたキャビネットの中に収まった、誠実極まりない調査が一目で分かるような、一人一人の戦死者に関する膨大にして、貴重な調査ファイルでした。

そして、澤地さんがとつとつと語る「私が突き止めたかったのは“命の重さ”であった」、「指揮官のずさんな命令で奪われた命」、「その死にどんな意味があったのか」を問い続ける遺族たち、「遺族の願いは戦争を繰り返さないこと。そこに敵も味方もない」という行きついた結論、そして「運命の五分間」といわれてきた従来の定説(航空母艦上の攻撃機の兵装が海(魚雷)、陸(爆弾)、海(魚雷)、と二転三転した結果の敗北)――後から考えれば、実に巧妙な敗北の言い訳であったわけですが――に敢然と疑問と異議を唱えた立ち位置の見事さ…等など、澤地さんの本気度と、異様なまでの真実の探求には、ただただ頭が下がるばかりでした。

とりわけ澤地さんが、この海戦で尊い命を奪われた人たち――戦死者の情報を統括していた官庁は、ある時期から資料を閲覧不可としたため、澤地さんは筆舌に尽くしがたい苦労をされたようですが――を、一人として「無駄死に」にさせてはならないという強い信念をもって書き綴って行ったその志の高さには、教わるところ、少しでも見習うべきところが多々あるように思えてなりません。

もしご興味を覚えた方がおられましたら、まずは是非パソコンでNHKのオンデマンドで上述の二つの番組(「ミッドウエー海戦 第一部/第二部」をご覧いただいた上で、ちくま学芸文庫発行の澤地久枝著「記録 ミッドウエー海戦」を手にしていただければ本当に嬉しく、有難く存じます。
ただ後日、何で先に言ってくれなかったとお叱りを受けてもいけませんので事前に正直に申し上げますと、この636ページに及ぶ本はけして面白く読める小説ではございません。
例えば「第四部 戦死者名簿」などは、P.383からP.567まで実に184ページに亙って延々と氏名、出身地、階級、在隊年数、死亡年齢、備考(日米共)が並んでいて、一瞬「何、この本?」と思われること間違いなしなのですが、戦争が終わってみれば、こういう戦死者の正確なデータさえ公にされていないことに疑問を抱いた澤地さんの、一人として無駄死に扱いさせては絶対にいけないという強い信念、それに両国の戦死者に対する差別なき、鎮魂の思いが加わっての渾身の調査結果と思っていただきたく存じます。

著者が男性だから女性だからというような表現回しはしたくないのですが、一人の人間が、しかもけして若くない年齢(=著者には大変失礼な言い方ですが)で、日本だけでなく米国の戦死者遺族のところまで、可能な限り訪ねて行っては真実(事実)を追求し、遂に完成にこぎつけた一冊は、もちろん毎日新聞社始め多くの協力があっての上梓であることは否定しませんが、立ち入って行けば行くほど、澤地さんの「人間、やる気になれば、ここまでできる」という稀有にして、至高のお手本と思えてなりません。

丸和育志会に何らかの関りを持つ方々、特に「創造的破壊」をもってイノベーションを試みておられる方に、目標さえきちんと決まれば、人間のもつ深耕能力は100パーセントが上限ではけしてなく、120パーセントどころか、自分にそんな力があったのかと驚く150パーセント、あるいはそれ以上のことも可能であるということを、この書物から感じ取っていただければ本当に嬉しく存じます。

ご自分で考えた確たる目標に向かって、ロードマップさえしっかりご自身で作ることができれば、あとは如何に集中力を極限まで持って行けるかということに尽きるのではないでしょうか。
スタート地点の辺りでは、いろいろ試行錯誤するのも結構ですが、ロケットダッシュも大事です。

淡い成功の夢などどこかに置いて、澤地久枝さんのような一たび目標を定めたら、それに向かって(ご自身が気が付かなかったはずの)隠れていた能力まで目一杯引き出し、150パーセントのエネルギーを酷使していただければと願ってやみません。
チャレンジの途中で、もし大きな壁にぶつかるようなことがありましたら、澤地さんの文庫本をパラパラと――中でも巻末の戸高一成さんの『解説 「記録 ミッドウエー海戦」を想う』の箇所(8ページ)は、圧巻必読です――捲っていただくだけで、きっと勇気と活力が戻ってくることでしょう。

そうなること、そしてその先の大願成就を心底願ってやみません。

(了)