誰も人生を最後まで予測出来ない。熊本地震も明日は自分のことかもしれない。健康にある程度の自信はあったが、胃がんの宣告を受けたのは45才でした。鈍感というかバカというか、地雷を踏んでしまったというか、やってしまったというのが実感で、うろたえることはありませんでした。初期の胃がんであったので治してもらえるだろうと短絡的に考えていましたが、後日聞いた話では、若いのに絶対治してやりたいと言われていたそうです。
三カ月の休養後、会社には私の居場所はありませんでした。
マーケティング部に所属し、私には20億の数字責任がありましたが、復帰直後にマーケティング部から体力勝負の販売部への異動の内示がありました。そういうことかと思いましたが、体力的に無理であるという医師の診断書を提出し、販売部への異動をけり、同時期に会社が新たに作った事業戦略企画部門に配属になり、販売を支えるプロジェクトの推進という位置づけでした。ここでもやってしまいました。
従来の購買インセンティブを使った販売方法のみでは、コモデティ化する製品は値引きに特化した販売戦略になり、危機的な状況でした。そこで、それぞれの製品の背景にある物語り(製品コンセプトを引き出す)を病院職員(医師、看護師、コメディカル)向けに提供する欧米の最新医療情報を加えた教育サービスプログラムとして病院に提供する一連の“病院内サービス勉強会”を作り上げました。当初、販売部員たちは聞く耳を持たず、私は自ら病院に出向き、欧米の最新情報の提供を開始しました。病院からの勉強会要請が増加し、販売部員も普段はなかなかあってもらえないキーマンとの面談が容易になり感謝されることも増えていきました。数字の直接責任は問われませんが、営業を側面から支え、病院に製品の良さを理解していただき、最終的には販売部員が成約に繋げることが容易になっていき、 “新しい情報と製品物語り”を営業部員らと一緒に全国の病院を回りました。いつの間にか全国の著名な病院のキーマンとコミュニケーションが出来る力を身に付けさせていただきました。これが不思議なご縁の始まりでした。
究極の価格競争から、顧客から信頼を勝ち取るコンセプトセリングへの移行を進めていき、“コンセプトセリングの川合”と呼ばれるようになり、患者さんや医療者にとって役に立つから使っていただく、そこを徹底的に理解してもらう売り方、23年間外資系企業で学んだ商人としての私の姿勢になりました。それは海外での勉強会プログラムへとつながる機会にもなり、部門をあげて協力体制が出来上がりました。
順風満帆、やっと落ち着いたと思っていたら、“人生いろいろ”で、大学院入学の前後に弟、妹、夫を相次いでがんで先に逝かせてしまい、“がん”との戦いに負けてしまいました。自分が病床に伏せるよりも辛い毎日で、弟、妹、夫の誰1人にも彼らの余命を告げることが出来ませんでした。
私はみんなの命を貰って今を生きています。恩師に“何か世の中にお返しするために生きなさい”とアドバイスをいただき、真野教授の著書と出会い、多摩大学大学院に入学する決心をし、私は退職と同時に新しい人生のスタートラインに立ち、大学院修了後起業にこぎつけることが出来ました。多摩大学大学院で、多くの著書に出会い、大切な人々と出会い、勇気をいただき、小難しい話をするようになってきましたが、ひとかわむけばおばちゃんです。ただ、一つだけ言えることは、“命は尽きるものであるという”事実に対して腹をくくっているということです。立ち上げた法人での収益の一部は“がん”患者さんのために使うことを表明しています。
企業のがん患者へのサポートは限定的で、治療後の復帰までの間を支援するプログラムを組まれている組織は少ないです。職場復帰がかなわない場合も多く、どれほど精神的、肉体的に大変なステップであるかは経験者にしかわからない部分であると思っています。 順調に職場復帰の訓練の場を提供できる事業にしていきたいと考えている次第です。
今のお仕事どうなの? とご興味のある皆様へは雑感を引き続きお読み頂ければと存じます。
《雑感》
29才でプレミアリーグ“小兵レスター”に移籍した岡崎慎司の頑張りに勇気づけられました。
「結果を得るためのプロセスに正解はない。それを改めて実感しています。」と彼がインタビューで語っていましたが、誇らしげで若さがうらやましく思えました。弁解です。結果を得るためのプロセスは色々あって、うまくいかなかったらその一つが間違っているのだと逃げ道を残して、退路を断つ勇気がない自分があり、ジレンマの中でもがき、それでも前に進みたい、成功者となりたいと願うエゴがそこにはあります。
目の前の数字を追いかけているうちに自らが立てた社会的目的に注意を払っていなかったことに気づき、愕然としました。私は社会起業家を目指していたのではなかったのか? 数字を追いかけるばかりに、本来の目的を見失っていました。
下図の右側が社会起業家の理想の姿で、本来の社会的目的を達成するために数値目標を達成することが重要なファクターであるという意識をリーダーは持ち続けなければならないという事を改めて肝に命じています。
本来の目的とキャッシュ・フロー目的の売り上げのためのプロジェクトの両方のバランスをとることがどれだけ難しいかを実感しています。
PDCAサイクルで事業のセグメントを決め、ターゲットを明確にする。ターゲット顧客にとっての利益(Value Proposition)を明確に打ち出し、数値目標をたて、進捗を確認し、差別化し、ガイドライン化(ブランド化)にまで持っていく。悩みの中で基本に帰ってみるとスッキリしました。2年目の勝負処は、一病院でもよいから、結果を出す。病院で成果が出れば、患者安全を支えるという大命題(目的)を具体的に実践することに繋がります。
社会環境の変化は高齢化した患者さんを医療から介護へと移動する仕組みがすすんでいるなかで、介護事業者や社会福祉法人の医療知識ニーズが上がる。本丸とEarly Winを並行して進める。事業戦略を考えながら日々好日、一歩一歩前進したいと願っています。