「アメリカはどのような技術革新によって月着陸を成功させたのか?」
1969年この課題を与えられた朝日新聞の俊敏な記者(疋田圭一郎氏)はNASA(米航空宇宙局)を綿密に取材し特派員レポートを書きます。彼の書いたレポートの内容は「アポロ計画の中に大きな技術革新など何もない。なぜ米国が人間を月に送れたのか。それは彼らの構築した品質管理システムのおかげである」というものでした。まさにその本質を見抜いたレポートとして有名です。
また、もう2年近く前になりますが、シリコンバレーを久し振りに訪れた時に日本企業からスタンフォード大学に研究員として派遣されている方の話を聞いたことがあります。その方は「日本は知識を教え、そして答えを求める。一方、米国はまず問題を定式化してからPDCAを回す。米国は帰納型であり、日本は演繹型と云える」 こんな風に日米比較をされていました。
現在、米国では猛烈なスピードでスマートフォンをプラットフォームにした多くのWebサービス(アプリケーション)が現れてきて人の生活を大きく変化させていっています。人間がその巨大な社会システムの中での日常生活をアクターとして演じている。これが久し振りに訪れたシリコンバレーの印象でした。私は長年企業の情報システム部門に在籍していますが、この米国ITのスピード感には本当に驚かされます。勿論、プログラマーのパフォーマンスにそんなに日米差がある訳ではありません。それでは何が違うのか。私はそこにはWebサービスを実現しているソフトウェア自体が高度に構造化してデザインされていることが大きな要因になっていると考えています。新しいサービスを追加するとき、あるいは別のサービスとの連携を図るとき、組み込み工程やテスト工程を中心にして、構造化されたソフトウェアの力で大きな工期短縮を産み出している。そしてこのソフトウェア構造こそが米国ITの発展の大きな土台となっているのではないかと思います。
日本でも勿論ソフトウェア構造化への取り組みは長い間継続してチャレンジされてきました。OSやミドルウェアといった基本ソフトウェアとビジネスアプリケーションでは異なると思いますが、私の所属している会社でも長年に亘ってオブジェクトデザインやコンポーネント開発にチャレンジしてきました。しかし企業内部のシステム開発工程の中では個別プロジェクトに対してその設計思想が中々徹底されない、また長年にわたる機能追加の継ぎ接ぎによってその構造が崩れてしまっている。これが多くの日本企業の現実なのではないでしょうか。ソフトウェア構造の問題は情報システムの世界における単なる一つの出現点に過ぎないかも知れません。しかし、そのソフトウェア構造による日米のITスピード差というものは、冒頭で紹介しました「品質管理システムを規定してその中でアポロ計画を進めていく」、「まず定式化して物事に取り組む」 こういった米国のシステム思考やモデリング・標準化の徹底という社会のあり方によってもたらされているのではないでしょうか。
情報システムから離れて、会社経営全般で考えてみても米国企業のビジネスプロセスの多くはモデリング、標準化がされています。そして、多くのオペレーショナルな仕事についても詳細にマニュアル化されています(これがまたシステム化に大きく貢献する訳ですが)。そういう社会の成り立ちのベーシックなところがあってこそ、米国社会の「労働流動性」も初めて実現でき、高度な専門性ある人材をスピーディに有効活用できる社会になるのではないかと思います。一方で業界や会社としての暗黙の個別業務ノウハウが常に必要とされる日本企業社会ではどうでしょう。確かに以前より企業の経験者採用も盛んになってきてはいますが、転職した人がその企業の中でしっかり活躍するまでには多大な努力と多くの時間が必要になっているのではないでしょうか。米国大手クレジットカード会社のビッグデータ活用の話を聞く機会がありました。その会社のデータ分析マネージャーに「『業務ノウハウ』とデータ分析技術を併せ持つデータサイエンティスト(データ分析技術者)の育成を社内でどう実現しているのか?」と質問したことがありました。彼の答えは「『業務ノウハウ』?データ分析のスペシャリストとデータがあれば、それで分析できるじゃないか」こういった反応でした。徹底して標準化されている会社・社会との根本的な違いを痛感しました。
情報システムの世界からみた日米差みたいな話を書いてきましたが、最近、「侵食系」という言葉が出てきています。ソフトウェア企業が既存産業を侵食するという意味で使われています。教育分野、ヘルスケア分野でその動きが激しいようですが、3Dプリンターのようなものからもイメージできるように既存大製造業に対する「侵食」もどんどん進んでいくことでしょう。 こういった米国のITの発展スピードやその「侵食」に対抗していくためにはどうしたら良いのか?勿論、私などに答えがある訳ではありません。その道の遠さに呆然としてしまうのですが、まあ一つ私が思うところは経営者の問題が結構大きいのではないかと思います。経営者自身が事業や会社経営のキーテクノロジー(ITは勿論その一つだと思っています)に対して本質的な深い理解があるか。これが大きなポイントになってくるのではないでしょうか。多くの経営者のみなさんは「テクノロジーは重要だ」と口を揃えて話されると思います。その重要な事業や会社経営のキーテクノロジーに対して経営者が本質的な理解をする。そしてその本質的理解をベースにして的確な経営判断を実施していく。これが必ずこの長い長い道のりの大きな一歩になると私は考えています。
以上