2022.12.23
名古屋市立大学附属東部医療センター
名誉院長 津田喬子
2022年10月11日に景気回復策として入国者数の上限が撤廃され、全国旅行支援などが始まりました。多くの外国人旅行者が訪れ観光地に活気が戻りつつありますが、私たち日本人と外国人旅行者ではマスク装着への意識には隔たりがあるように思われます。
新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)予防には、手指および器具の消毒やソーシャルディスタンスといった接触感染や飛沫感染対策が重要だと、今でも言われていることが一因と考えられます。
第8波までCOVID-19の蔓延を許してしまった今、私たちは感染経路についてしっかり理解しておく必要があります。
そもそもCOVID-19の感染経路については判断が分かれていました。
世界保健機関(以下、WHO)は2019年末の感染拡大が問題になった当初「主として呼吸性飛沫と接触経路によって伝播する」と発表しましたが、2021年12月には空気中のウイルスを含むエアロゾル(後述)の吸入が経路であると修正しました1)。
米国の疾病予防管理センター(CDC)も 2021年5月の時点で微小飛沫あるいはエアロゾルの吸入を指摘しました。
翻ってわが国では、2020年2月24日の専門家会議(正式名、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)による「咳やくしゃみなどの飛沫感染と手指等における接触感染が主体であり空気感染は起きていないと考えている2)」という見解がまかり通り、メディアはこぞって飛沫と接触における感染対策を大々的に呼びかけ、そのため接触を念頭においた手指の消毒用アルコールがあっという間に品薄となったことはご存知の通りです。
2021年6月時点においても国立感染症研究所は「接触と飛沫感染を重視しておりエアロゾル感染は著しく換気の悪い状況で稀にしか起こらない」としていました。
空気感染とエアロゾル感染はほぼ同義として用いられていますが、エアロゾルの新しい概念の理解が必要です(図1)3)。
エアロゾルは気体中に浮遊する微小な液体または固体の粒子と周囲の気体との混合体です。
粒子が空気(aero)に「溶けている(solute)」状態とみなしてaerosolと命名されたとのことです。
エアロゾルの直径はとても幅広く100μmから0.01μmまでにも及びます。PM2.5(直径2.5μm以下)、黄砂(直径約4μm)、スギ花粉粒子(直径約30μm)もエアロゾルとなります。
かつて、直径5μm以上の飛沫による感染が飛沫感染、直径5μm未満の飛沫核による感染が空気感染と定義されていましたが、現在は図1のように直径100μm以上が飛沫、それ以下はエアロゾルに分類されます。
新型コロナウイルスの直径は0.1μm(1mmの1/10,000)です。
大気中に数時間はフワフワと漂っている目に見えないこのウイルスを含むエアロゾルをターゲットとする感染予防対策へ舵を切らなかったのは何故でしょう。
2020年4月に経済産業省(以下、経産省)は入手困難となった消毒用アルコールの代替品に関する抗ウイルス作用やウイルス除去作用についての調査を独立行政法人製品評価技術基盤機構(以下、NITE)に委託したことはご存じと思います。当初の調査対象物質は界面活性剤(台所用洗剤など)、次亜塩素酸水(電気分解法で生成したもの)および第4級アンモニウム塩でした。
当時、私は勤務先の老人保健施設においてインフルエンザやノロウイルス感染予防に希塩酸を電気分解して生成されるpH6.2(微酸性)で塩素濃度20ppmの微酸性次亜塩素酸水を器物の清拭、床掃除、職員の手指消毒のみならず、ミスト生成器を居室やホールに置き除ウイルスに使用していました。
既に帯広畜産大から次亜塩素酸水の新型コロナウイルス不活性化効果が報告されていたこともあり4),5)、NITE等によってCOVID-19への有効性が証明されることを期待していましたが、5月29日の中間発表では次亜塩素酸水については引き続き検査を継続するという中途半端なものでした。
この結果を受けてかNHKは「NITEは次亜塩素酸水の有効性は確認されないと発表、噴霧での使用は安全性について科学的な根拠が示されていないとして使用を控えるように呼びかけている。」と報道しました。
この報道は正しくありません。
NHK以外の放送各社は引き続き検査は継続となったと正しく伝えていました。
この混乱は次亜塩素酸水に関する知識が不十分であって、よく似た名称の次亜塩素酸ナトリウム(身近なものとしては家庭用の塩素系漂白剤)と次亜塩素酸水との混同によるものです。
また、市場では一部の業者が次亜塩素酸ナトリウムを希釈するか酸で中和した製品を「次亜塩素酸水」と称して販売していました。メディアでも塩素系漂白剤の希釈方法が公表され器物の清拭に使用されていたこともあり、次亜塩素酸という名称がつけば同類と思われたためです。
表1に次亜塩素酸水と次亜塩素酸ナトリウムの比較を示しましたので説明します6)。
両者とも従来の試験において強い抗ウイルス作用のあることは知られていました。
次亜塩素酸水は塩酸を電気分解して得られるもので、主成分は次亜塩素酸であり酸性電解水とも言われています。
一方の次亜塩素酸ナトリウムはアルカリ性で主成分は次亜塩素酸イオンであり次亜塩素酸ソーダとも呼ばれています(苛性ソーダではありません)。
両者の最大の相違点は安全性です。次亜塩素酸ナトリウムは器物の清拭に有効ですが、例え希釈してもアルカリ性のために手洗い、噴霧、ミスト状にしての使用はできません。
その後NITEは検証施設を追加して拭き掃除や流水でかけ流す場合において次亜塩素酸水の有効性を認めたものの、50余種類にも及ぶ界面活性剤や石鹸が予防に有効であるとしたのみで十分な科学的検討は保留されたままです。
もともと経産省が製品評価を主業務とするNITEに感染予防手段としての手指や器物の消毒用アルコールの代替品に関する調査を委託したことに無理があり、さらに最も重要なエアロゾル感染経路の遮断に効果がある製品の検討をなおざりにしたことも問題です。
微酸性次亜塩素酸水をはじめとした次亜塩素酸水が空気中の新型コロナウイルスを効率よく死滅させるかどうか、また噴霧する場合のヒト/動物に対する毒性試験についても十分なデータは不足しています。
COVID-19がエアロゾル感染でもあることは常識となってきた今だからこそ3)、第8波に立ち向かうためにも、厚労省は傘下の試験・研究施設の『省壁』を超えたチームによる次亜塩素酸水の1)噴霧による殺ウィルス効果の有無とその条件、2)安全性(許容暴露濃度)について、早急にしっかりとした結果を国民に示して欲しいものです。
それにかかる費用は、医療崩壊対策費用、さらにワクチンによる集団免疫効果が現れるまで首長くして待つ間の莫大な経済的損失より、間違いなく桁違いに安価であると考えます。
引用文献
1.World Health Organization (WHO), “Coronavirus disease (COVID-19): How is it transmitted?” (2021)
who.int/news-room/q-a-detail/coronavirus-disease-covid-19-how-is-it-transmitted.
2.新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解
2020年2月24日新型コロナウイルス感染症対策専門家会議
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00006.html
3.向野賢治他:COVID-19は空気感染対策に注力を.Web医事新報No.5125 P.30 、2022年7月16日
4.(研究成果の発表)新型コロナウイルスに対する次亜塩素酸水の不活化効果を証明(令和2年5月14日)
https://www.obihiro.ac.jp/news/30218
5.(研究成果の発表)新型コロナウイルスに対する次亜塩素酸水の不活化効果を証明 第2報(令和2年5月26日更新)
https://www.obihiro.ac.jp/news/30347
6. 次亜塩素酸水と次亜塩素酸ナトリウムの同類性に関する資料
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/08/dl/s0819-8k.pdf