第24回ブログ(2020.8) 理事 日比野雅夫:事件は現場で起きている

本稿を書くに当たって過去の私のブログを調べたら何と5年前であった(2015年6月第3回ブログ「多様性を受容して新しい創造へ」自分で言うのも何ですが結構おもしろいので時間のある人は読んでみて下さい)。

丸和育志会に関わってもう5年以上も経過しているのだという時の流れの速さの実感をし、また、日本は5年前と本質的に何もかわってないなと慨嘆をもしている。これから書く話は、何十年も変わらぬ日本の強さと弱さについてである。

 

 さて、政府はウソをつくということである。もう少し穏やかに言うと情報操作をするものである。古くは、軍艦マーチにのって“大本営発表”があり、これに踊らされた国民は何百万もの命を失うことになった。近くでは安倍首相がオリンピック招致の時、フクイチの汚染水問題に懸念が出ている中“状況は完全にコントロールされている”と言った。民主党政権も負けていない。

当時の枝野官房長官は、原発事故の時“メルトダウンではない”と言い切った。(世界に目を向けるとアメリカも中国もそのほかの政府もウソばかりと言ってよいくらいだがここではこれ以上触れない。)

最近の新型コロナウイルスに関する政府発表や東京都の発表でさえ、報道されていることがどこまで事実なのか定かではない。というか確かめようがない。マスメディアやSNSなどを通して事実に基づくニュースもフェイクニュースも同時に溢れ返る中で我々は何を信じて行動の基点を作ればよいのであろうか。

専門家会議(今では分科会と名前を変えたようだが)がその発足当初から、無症状の感染者がいる、新型コロナとの戦いは1年以上続く、との見解を政府に示していたが、今ではこの当たり前の見解が、当時、政府の発表からは削除された(このようにウソはつかないが重要な情報をあえて出さない、というのも立派な情報操作である)。

一方、専門家会議の方では、前のめりになり言い過ぎたかもしれない、と反省の声も聞かれるらしい。しかしながら、胡散臭い“政府発表”より、“前のめりになった専門家会議の見解”の方が真実を語っているように聞こえるのは私だけではないはずだ。何故こう思えるのか? そこには“事件は現場で起きている”という本稿のタイトルが深く関連している。

 

 日本がここまで発展し、あるいは、ここ30年ほど停滞している真の原因は何であろうか。色んな考えがあるが、「“事件は現場で起きている”を真摯に受け止め、これを基点に実行してきたか否かの差である」、という説は、メーカーで何十年も働いてきた私にとって最も説得力を持つ考えである。

モノヅクリが日本企業の一番の強みであった。工場勤務であった私は、理論をベースに設計をし、それを工場の現場で実際の製造をしてもらう。理論と実際のギャップが常にあり、それを埋める作業を机と現場を行き来しながら考えていた。

ソフトウエアの時代になっても同じ事である。理論を組み立て、コンピューターの上でプログラミングし、これを実際の現場で展開する。これがソフトウエアの量が膨大になり、その作業が本社から地方へ流れていき、最後には、海外へ流れていく。そして、肝心の本社の力が薄れていく。

これがこの30~40年の日本のモノヅクリの現状である。つまり、現場がどんどん遠くなっていくのである。コントロールセンターがどんどん現場力を失っていき、机の上だけの理論や計画が優先されてきたのだ。この弊害をなくすためには、コントロールセンターの力を分散させて現場に近いところで完結させるか、あるいは、コントロールセンターと現場の情報をそれぞれが如何に共有するかということが重要であろう。

 

 話を新型コロナウイルスに戻そう。専門家会議の見解は何故真実味があるのか、それは、より現場に近いところの感覚を持っているからなのではないか。政府のコントロールセンター足るべき厚労省と医療現場との距離があまりにも遠い。

内閣府も同じことだ。アベノマスクにしても商品を買う側が検査をし、品質を保証した上で配布する所までの一連の業務に対する現場感覚がない(その結果、配布のタイミングを逸し現場のニーズと合わなくなった)。給付金配布にしてもそれを実行する各自治体の現場業務の大変さにまで頭が回っていない。

太平洋戦争時、参謀の机上で考えた無謀な作戦を決行した、と同じことが起きている。また、コントロールセンターを分散させたという意味での各自治体は現場に近いところにいるにもかかわらずそこで完結できる事項が少ないようにも見える。

しかしながら、現場に近いところでもっとできることがあるはずと思っていたら、最近では、政府、知事だけではなく、市長や区長など、より現場に近いところでの活発な活動がみられるようになったのは良い方向である。現場がもっともっと引っ張っていけば良い。現場から発想するというのはモノヅクリ日本の最も得意とする分野だったはずである。

現場の最先端の生の情報を区、市町村から都道府県へ、そして、政府へと情報を速やかに共有できる仕組みをITの力を使って至急構築しなければならない。諸外国ではすでにこともなげにやっている事だから。

 

 世の中には無数の情報がTVから、新聞から、SNSから流れてくる。これをどのように見分けるかは個人の意識の問題でしかない。記者クラブ制度の中から出てきた大新聞やTVの情報を鵜呑みにするのか、SNSのフェイクニュースを鵜呑みにするのか我々の常識が問われている。その中でも見分けるポイントの一つが“現場”に根差した情報かどうかである事をここでは強調しておきたい。