我流100年プリンシプル① 現在・過去・未来
気づいてみるともう30年以上マーケティング周辺の仕事を行ってきました。
今回ELPASO会員コラムの執筆の機会をいただき、一人のマーケターとして、経営に携わる身として今思うところを述べさせていただきたいと思います。
さて、今から約22年前2000年12月31日の大晦日、三田の慶応義塾で「第2回世紀送迎会」なる催しが行われました。
当時の鳥居塾長は「社中が集って20世紀を振り返り、新しい世紀への期待を語り合おう」と述べました。
私自身も参加して100年の区切りをかみしめるとともに来たる21世紀への期待に胸が熱くなったことを鮮明に記憶しています。
第1回はなんと1900年の大晦日。福澤諭吉先生も存命なされていた中で学生が中心となって500名が参加して行われたと言われます。
当時、100年後の世界と日本の姿を想像できていた人がどれほどいたか、おそらく誰もいなかったと思います。
21世紀がスタートしてからまもなく四半世紀、もうすでにコロナパンデミックとウクライナ侵攻というブラックスワン(めったにおこらないが、壊滅的ダメージをもたらす事象)が起きました。
より明るく、平和な未来を予想していた人々には大きなショックとなりました。しかし、20世紀に起きたスペイン風邪インフルエンザや2回の世界戦争よりはまだずっとましです。
私は1957年生まれですから平均寿命で言えば、20世紀と21世紀をちょうど半分ずつ生きる世代です。
多くの日本人と同様、今までは現在より未来は必ず良くなるとしんじてきましたが、世紀という物差しで見ると社会の進化はジグザグであって1世代30年のレベルでは未来が過去に逆戻りすることは全く珍しくありません。
100年のレンジでモノを見ると発想や視点が大きく違ってくると思います。
ところが「100年先なんて考えたって仕方ない、誰もわからない、その通りになるわけない」とつい考えをやめてしまいがちです。実際、絵にかいた餅、理想だけ述べても誰も相手にしてはくれません。
それでも、100年のビジョンを持つこと、考えておくことは重要と考えます。
むしろ混迷の時代だからこそ国、社会、企業などが100年後のビジョンを持つ必要があるとさえ感じます。
その理由はその先にある明るい未来の展望が眼の前の不安を乗り越える原動力になることです。
もう一つは長期のビジョンは不断の努力と時流に流されない価値を生みだします。
ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、ネイティブインディアンの問題解決フィロソフィーである「7代先のことを考えろ」を標榜して創業した地球の環境・安全問題に取り組むセブンスジェネレーションというブランドは1988年に誕生、当時100年以上先のビジョンを掲げました。
日本では例えば東レの炭素繊維事業は1961年本格的な技術開発がスタートしました。
こちらは将来的に世の中で必要とされる、自身のコア技術を生かせる、の視点をブラさずに需要が生まれるまでずっと続けてきました。両者ともに時代の方が追いついてきました。
もはや世界中で脱炭素について語られる目標は2050年という長いスパンのターゲットになりました。
実際に深刻化を増している環境問題解決には数世紀かかるとさえ言われています。
過去を振り返り(学び)、未来を見据え(ビジョン)、現在に立ち向かう(変化対応と価値創造)ことは経営やマーケティングの基本ですが、今こそ超長期視点のビジョンが求められる時であると確信します。
ビービーメディア株式会社
佐野真一